A-2 山元町坂元中浜地区

2011
A-2 山元町坂元中浜地区
(PDF) 

[調査日]2011 年 12 月 12 日(月)

[報告者]
赤尾智宏 
[調査者]
高倉浩樹 
[補助調査者]
赤尾智宏 
[話者]
(1)A011山元町教育委員会生涯学習課主査(1971年生れ - 男) 
東日本大震災における中浜地区の被害状況

 山元町の面積、全体の三分の一が津波で浸水し、話者宅も流出した。中浜地区は集落全体が流出してしまい、山元町の南側は壊滅状態、死者数の割合が高い。中浜小学校は流出せずに残っている数少ない建造物の一つである。2011年11月11日に災害用の建築基準法が改正され、津波浸水地域は、海に近い順に1種、2種、3種と危険区域として段階ごとに分類されている。復興計画として、1種、2種の地域は住居の新築は許可されないが、人が住まない建造物である工場などは新設が可能である。神社は流出前と同じ場所に建築可能となっている。
 ここ数年、山元町の人口は右肩下がり、減少傾向にあった。震災前の山元町の人口は16,000人(2,500世帯)であったが、震災により600人以上が亡くなった。現在、中浜地区にどれだけの住民がいるかは不明である。住居は流失したが住所登録を変更せずに、山元町の住所登録のままで地区外に暮らしている場合がある。そのため、行政が把握している居住者の人数と実際のそれとには違いがある可能性が高い。
 東日本大震災で役場職員170名の内4名が殉職し、震災後、職員一人に課される仕事量が増加した。一方で、他の自治体、国、県からの同じ公務員の人的支援があり、宮崎県からは2,000名が応援にきた。宮崎県の自治体が地元の特産品を販売し、売上金を義捐金として寄付した。宮崎県だけでなく、北から南まで多くの自治体が参加し、仮設住宅に住む山元町民から近隣地域の人々まで、多くの人が参加し大いに盛り上がった。
 現在、自治体の職員が足りず、過労から休職している職員がいる。昨日の毎日新聞のトップで自治体の仕事の人材が足りないという記事があったが、話者はこれに共感した。生涯教育課管轄の仕事は多く、遺跡の発掘から様々な施設の管理まで多岐にわたる。

タグ

震災前 / 震災後

関連URL

この話者の他の調査ノート

関連カード

地区
キーワード

みちのく震録伝 -東日本大震災アーカイブ-

宮城県地域文化遺産プロジェクト

ページトップ