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学校で笛と太鼓を教えるのは難しい。楽譜などがないからだ。震災前の状況としてはこうした中で臨時に雇われていた女の先生が重要な役割を果たした。彼女は盛岡出身で「さんさ踊り」で笛をやっていた。まず保存会で笛の様子をビデオで撮影した。それをみて習ってもらった。ずっと以前、伝承の手段として、譜面に落とそうと思い試みた。しかしうまくはいかなかった。この女の先生は保存会の練習にも参加するなどしてとても熱心だった。この先生は震災前に別の小学校に異動した。
ゆとりの時間をつかって神楽の練習をした。中浜小学校は一クラス男女合わせて10人ぐらいだから、他の学年も一緒にして授業をした。男の子だけではなく、女の子も一緒におどった。笛は特に女の子がうまかった。全般的には女の子の方が熱心。完全とはいえないが、……こっちからするともう少し厳しく指導したいという思いがあった。ゆとりの授業の担当だったのは、学年主任の先生。こうした成果は、学校の運動会で披露した。一方隣の坂元小学校では、「ソーラン節」を教えている。
まだこうした授業のなかからは「伝承者」はでてこない。やはり中高と大人になる時期は神楽に関わるのは難しい。なお震災後、学校からは神楽を再開したいと連絡があった。震災前は通年でやっていたが、今は時々。学校の道具や衣装も流された。衣装は仮設にはいっている人=年配者に頼んで白装束のはかまなどを作ってもらった。太鼓などは校長がどこかから調達してきた。
今回の再開については校長が声をかけた。それで校長から地区の区長に相談し、そのなかでやってもらった。祭りは区長がとりまとめなので。祭りに関しては、普通区長は直接かかわらないが、学校の生徒用の衣装の調達は手伝っていた。学校では太鼓笛などは神楽保存会のを使っていたが、津波で一切亡くなった。それで学校がどこからか調達してやったようだ。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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