A-5 山元町坂元中浜地区

2011
A-5 山元町坂元中浜地区
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[調査日]2012 年 2 月 14 日(火)

[報告者]
高倉浩樹 
[調査者]
高倉浩樹 
[補助調査者]
赤尾智宏 
[話者]
(1)A005中浜神楽保存会副会長/年金生活者(1949年生れ - 男) (2)A009中浜神楽笛担当/年金生活者(1944年生れ - 男) 
神楽の被災

 震災後の状況として、当面の問題は太鼓や笛はなんとかなったが、面をどうするかという問題がある。
 浜通りの地区にある天神社(高瀬天神社とは別)は鳥居が10メートルぐらい流された。それで見つかったので、クレーンで12月30日に作業をおこない再建した。津波は波が力をもっているというよりも、がれきが力を発揮する。それであんなに重い鳥居もながされた。
 区は鳥居がみつかっても建て直す気はなかった。保存会でイニシアティブをとってやった。クレーンを出してくれたのは亘理にある光重機(逢隈上郡字若宮45-1)でボランティアでやってくれた。
 現在、面を探している。業者からカタログを取り寄せたが、近代的なものばかりでとても選ぶ気にはなれない。面の写真やビデオはもっていたが、家に保存しておいたので津波で全部ながされてしまった。今年の小学校の運動会で神楽を撮影したものだけが現在ある。
 烏の面がなかなかない。春日舞いで使う。この舞いはおもしろおかしい。嫁御だましもおもしろい舞いだ。きつねにだまされて連れ去られる話。色気があり。嫁御の面もちょっとかわいい。
 天神社には菅原道真公が本殿に祭ってあった。400年祭をやった根拠がこの像がみつかって400年ということらしい。その時の話は、以下の通り。ある漁師が漁をやっていたら像がかかった。いらないので海に戻すのだが、何度やっても網に引っかかる。それで陸にもってきて、斧で割ろうしても割れない。それでご神体ということがわかった。ご神体は祭典のときに神輿のなかにいれて担ぐ。しかしだれも見ていない。400年祭の時にもみていないという。見ると目が瞑れるという。現在の太宰府にも像はないという。ここに来た由来は、あるときに太宰府の像を流して、それがここに流れ着いたのだという。神社のなかには鏡をご神体にしているところが多い。しかしここではちゃんと像がある。
 神輿になかにいれられるぐらいだから、抱えられるぐらいの大きさだと思う。

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