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話者②は、笠野地区の副区長でもあり、現在東田仮設住宅の行政連絡委員をつとめている。行政連絡委員とは昔の区があったときと同じように、役場からの配布物のとりまとめなどの仕事をする。東田仮設住宅には267軒が住んでいる。話者②自身は震災後角田市に身を寄せていたものの、9月からは東田仮設住宅へと移った。
笠野地区はもともと240軒・820名ほどの人口であったが、そのうち44名が震災で亡くなった。建物も高台に建てられていた2軒を残して、その他は全部流された。笠野地区の住民は、東田仮設住宅へ35軒ほど入っており、一番多いのは町民グラウンドの仮設住宅だという。その他の仮設住宅地などバラバラになっている。町外に出たり、よそでマンションを買ったりという人もいる。
話者②は笠野地区の人たちの動向は大体把握しているという。震災から2日後、笠野地区では話者②らを中心にすぐに安否確認が始められた。役場のところに掲示板のように紙を貼って、「誰がいる」「誰をみかけた」などがわかるようにした。役場で働いていたという経験から、「こういうことをしなくちゃだめだ」と思ったからすぐに行動を起こした。町が主体となって安否確認を行うようになったのは、震災から1週間が経過してからだった。3月いっぱいは役場の安否確認を手伝った。ただ、安否確認をする場合、皆住所をもとに照会にやってくる。私のような年配者だと頭の中に他の地域の小字名まで入っているから、すぐに的確に答えることができる。ということで、小字名を把握できない若い人たちが対応するよりは、と思い安否確認を手伝った。
地区によってはまとまらなかった地区もあるらしい。隣の花釜は1,000戸以上あるので、それだとまとまらない。笠野は昔からいた人が100軒ぐらい、新しい人が140軒ぐらいで、班の人たち同士も面識がある。そういう意味では普通の地区よりもまとまりやすかったんじゃないかなと思う。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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