B-2 山元町高瀬笠野地区

2011
B-2 山元町高瀬笠野地区
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[調査日]2011 年 12 月 13 日(火)

[報告者]
山口睦 
[調査者]
山口睦 
[補助調査者]
相澤拓郎 
[話者]
(1)B017八重垣神社宮司(1956年生れ - 女) 
八重垣神社の復興プロセス

 6月17日に神社庁の協力を得て、御柱立てを行った。綱をはり、県内一早く行った。7月10日に東京都江東区の下谷神社から社を寄付された。下谷神社は大崎八幡の宮司と知り合いであり、阿佐ヶ谷神明宮から譲られた社を寄付してくれた。
 八重垣神社は、鳥居の土台などを残して全て津波に流されてしまったが、誰かが瓦を拾って、お賽銭を置いていった。これは、早く何か拝む形を作らなければと思った。不思議なもので、きちんとした賽銭箱があったときには、年に何回か盗難の被害にあい、盗まれない賽銭箱を作ろうか悩んでいたが、誰でも持っていけるようになっていると誰も盗んで行かないという。
 車の祈祷の依頼が一番初めにあり、7月下旬頃に依頼があった。仮設住宅の祈祷をお願いしたいが、同じ棟の人で望まない人もいるかもしれないから、鍵を祈祷してくれという依頼もある。これは、家移りするために行なってもらうという理由からである。9月以降は、津波にあった元の住居の井戸の祈祷が増えた。「井戸は放っておくとけっこう障りがある」ためだそうだ。
 伊勢神宮から神棚を配るから必要な数を報告するように言われた。150を申請した。八重垣神社の氏子数は、笠野・新浜で300世帯だが、親戚を頼って遠くにいる人などもいるので、170くらいにおちついた。八重垣神社の氏子以外は、神棚の必要性を感じない人もいるという。ある仮設住宅を廻っていたところ、氏子さん以外の人にも「神棚はいらないか」と尋ねたところ「いらね」といわれ、その場に同席していた八重垣神社の氏子たちが「なしていらねの!」と強い口調で尋ねたそうだ。
 これからは、新年の御札(神棚に貼るもの)「御神像」を配るという。徐々に、「御守ない?」「御札ない?」と言われており、そろそろ作らなければいけないと思う。
 元境内の脇にあるプレハブは大崎八幡から譲り受けた。トイレも手配してくれるといわれたが、あまりお願いするのも悪いから自分でリースした。運搬は大崎八幡の宮司が趣味で重機などを操る人であり運んでくれた。
 横浜大学の先生が神社の杜を復活させようと、育樹祭を行った。

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