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新浜はもともと阿武隈川の川沿い、堤防の河川側にあった。昭和16年の河川改修工事によって現在の場所(一部は海沿い)へ移ってきた。話者家はもともと川の中にあった島に住んでいた。伊達藩の倉庫だったという。その倉を「納屋」と呼び、左側には塩を右側には鮭を保管していた。その島に住んでいた2軒は、江戸か明治のころに河原へ移動した。昭和59年の市史編纂のとき編纂室員がやってきて調査をした。そのときの写真が市史に収められている。市の方からは倉を保存するよう勧められたが、20年ほど前に改装して事務所にした。
川の島は、現在の亘理大橋よりも海の側にあった。話者②が嫁に来たときにはまだその島はあったという。その土はトロッコで運んで、現在の堤防にしたという。そのため、現在では残っていない。新浜の人たちは半農半漁の生活をしていた。漁は部落共同で行う。鮭を主に獲っていた。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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