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北釜(これは通称の集落名称。住居表示は、下増田屋敷)を含む下増田地区の氏神は北釜にある下増田神社である。神社総代および世話人は、下増田地区の集落のうち、本村下区、本村上区、飯塚、耕野、杉ケ袋南からはそれぞれ一人ずつ、北釜からは総代2人、世話人5人が出ている。この他、杉ケ袋北という集落があるが、ここは毘沙門天を祀っており、下増田神社の氏子とはなっていない。総代の中の一番の長を総代長といい、話者がその任にある。
25年前までA氏という別当さん(神官)がいた。この人が25年前に亡くなってからは、神社に別当さんがいなくなってしまった。そこで日常的には総代らが宮を守り、祭りのときには相の釜の稲荷神社の宮司に来てもらうようになって現在に至っている。
北釜と相の釜は、現在、北釜が名取市に、相の釜が岩沼市にそれぞれ属しているが、隣接しているため、市境を越えて日常的に行き来がある。宮司以外にも、かつては産婆も相の釜の産婆に北釜に来てもらっていた。この産婆は、相の釜の寺の住職の奥さんであった。北釜と相の釜の子供たちは、よく集落対抗でけんかしていたが、大人になるといろいろとつきあいが出てきて親しく行き来がある。
春祭りは、現在は4月第3日曜日(以前は4月5日)に行なう。氏子圏となっている各集落から人が来る。一方、秋祭り(10月)は、北釜の人たちのみで行なう。元旦祭も北釜の人たちのみで行なっている。これとは別に、新嘗祭(11月23日)も行なわれており、これには氏子圏の各集落から参拝に来る。
下増田神社の祭礼には70人くらい来賓を呼ぶ。消防関係、公民館長、などである。
来賓はひとり3,000円くらいの御祝儀を出す。春の祭りのときには、神楽を舞った。境内に神楽堂があった。館腰や高舘の神楽を呼んできて舞ってもらう。神楽を呼ぶ費用は、来賓からもらう御祝儀から出す。春の祭り以外には、通常は神楽は舞われないが、ある人の100歳のお祝いとして新嘗祭のときに神楽を奉納するということはあった。この場合は個人で神楽を呼ぶ費用を出した。新嘗祭のときには神輿を出す。これは子供の神輿である。御輿が北釜をまわる際に賽銭が出されるが、このとき集まった賽銭の半分は子どもたちに渡す。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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