0件
北釜の浜辺は、いちばん海に近いほうから、県有地(松林)、市有地(もとは村有地)、集落の土地、の順になっているが、このうち市有地のところは、松を植えず、イグサの乾燥場所にしていた。下増田の内陸部である飯塚、耕谷、本村上・下は、イグサの産地であり、そこでとったイグサをここへ運んできて乾燥させた。イグサは、収穫後1日で乾燥させないといけない。砂浜は乾燥が速いので、ここが干し場に選ばれた。北釜ではイグサはつくっていなかった。イグサを干す時期には労働力が不足し、北釜の人たちもさかんに雇われていた。その後、イグサは岡山県産のものに負け、つくらなくなった。そして、干し場であった市有地は民間に払い下げられ、そこに家を建てて住んでいた人がいる。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
ページトップ