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大漁唄込みの歌は、仙台の殿様(伊達家)との由縁のある歌である。朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に参戦した伊達家は、食糧難で苦戦していた。ちょうどそのころ大阪を目指していた太郎丸は、シケにあって朝鮮にたどり着いた。太郎丸に積んであった食料で伊達家の武士は助かった。太郎丸が閖上に戻る際に、歌の上手い船頭を乗せて帰ることになった。このときに船頭が歌った歌が大漁唄込みの歌である。伊達家が名取川でサケ漁の視察に来たときには、大漁唄込みの歌と踊りを見せた。これが、大漁唄込みの歌と踊りの由来である。
これに対して大漁祝い唄は、大漁の時に漁師が歌うものだが、閖上独自のものではなく、明治期に銚子から入ってきたものだといわれている。大漁祝い唄には、昭和27年ころ婦人会で踊りをつけ、全国大会にも出場した。振付を誰がしたのかはわからない。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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