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保存会には震災以前、31名が所属していた。陸区に居住するひとも何人かはいたが、ほとんどが町区の住民で行っていた。保存会では震災により9名が亡くなった。震災前に保存会会長を替えようという話になっていて、B氏が就任するはずであったが、亡くなったため、話者が会長になった。
保存会では、今後の活動をどうしていくのか話し合えない状況にある。震災後住居地が離れてしまい、どこに居住しているのかわからない会員も多いからである。また会員と連絡が取れたとしても公民館のような集まれる場所もなく、また年配者が多いため交通手段がないという問題がある(とくに、婦人会の行事ということもあり、車を自由に使えないという事情もあるようである)。しかし、話者は今年(平成24年)の夏には再開したいと思っており、会員の所在を確かめようとしている。
閖上大漁唄込み踊に必要な道具類のなかでは、ハッピや手拭い、紐が買えればよい。船と櫂は大曲に居住しているC氏が保管していたため、津波の被害は免れている。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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