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荒浜の漁師の船は常時、仙台新港のそばに係留されていたが、震災時には23艘のうち2~3艘が沖へと逃げた。15トン、17~18トンの船は震災後の火災で燃えてしまっている。話者の船の「だいよし丸」は、菖蒲田浜から200メートル沖で奇跡的に発見された。青森の船大工に来てもらい、アオヒバを用いて補修をした後、9月1日からアカガイの漁に出ている。当初は1キロ1万円くらいで50キロくらい水揚げしている。被災地の荒浜には一人で倉庫を建てて、日中はここで漁具の手入れなどをしている。住んでいる。他にも10名くらいの漁師が道具小屋を建て、生業のために利用している。彼らの小屋には皆、共通して黄色い旗を立て、集落移転に反対している。海を相手にしている仕事であるために、毎日の天気予報などは、海のそばでなければかなわないという。
話者のような集落移転に反対している人々の割合は、全体的には少数派といえるが、荒浜では「現地再建」のグループと「集団移転」のグループが、同じ仮設住宅集会所で、それぞれ「戻りたい分科会」と「集団移転分科会」に分かれて、議論を続けている。この仮説住宅や集会所は、若林区伊在字東通の荒井小学校建設予定地に建っているが、集団移転を望んでいる地域は、この荒井周辺である。また、この集会所では、「荒浜新聞」というミニコミ新聞を発行しており、荒浜の2つのグループの動きを平等に掲載している。「荒浜移転まちづくり協議会設立準備委員会」では、平成24年1月29日に「荒浜移転まちづくり協議会設立総会」を開いている。
仮設住宅ではこの集会所を中心にして、8月には初盆に立てる高灯籠を立て、13日には盆踊り、20日には「灯籠流し」を行なったが、正月は特別な行事を行なわなかった。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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