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現在の話者①家は昭和58年に建て替えたもの。その前の建物は移転してきた時には代用瓦の屋根で、戦後に本瓦に吹き替えた。津波は床上86センチまで浸水、襖や壁に跡が残っている。浸水時は話者①の父ら老人を介護施設に避難させ、自分たちは2階で水が引くのを待った。2ヵ月ほど後、畳を入れられる状態になってから老人に戻ってきてもらった。現在、震災による傷みを補修中。
浸水した家具類の引出が開かなくて困った。裏からトンカチで叩いて出したが、まだ開かないものもある。写真アルバムなどもダメになった。くっついて単なる紙ゴミと化している。すぐに真水につければなんとかなったらしいのだが、後回しになってしまった。
震災で一番しんどかったのは機械が全部ダメになったこと。今年は塩害のため作付けはせず。トラクターだけ直したが、部品交換で百万円かかった(話者②)。田植機も50万円で直せるといわれたが、やめた。モミも流れてしまった。
萩原神社のご神体も、津波で流された。拾ってきてきれいにして、現在は話者①家の作業場の段ボールにしまってある。昭和47年に前の萩原神社を建て替えた時は97万円かかったが、今再建するとその四倍はかかる。今後、講員で積み立てして再建したいと思っている。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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