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多賀城2代目市長伊藤喜一郎のときに、多賀城市にかつてあった伝統芸能である鹿踊を復活させることになり、鹿踊保存会が設立された。大場正七が、鹿踊保存会の初代会長である。昭和56年に芸能道場が建てられ、道場の側には鹿踊の由来を記録した碑がある。話者は、鹿踊復活の際に、現存している赤石部落や秋保の鹿踊を見学に行ったことがある。途絶える以前の唄は、主に石橋久作によって復元が進められた。久作は、話者の祖父より10歳ほど年下で、話者の祖父のことを「あんつぁん」と呼ぶ間柄だった。D氏の父が一番踊りについては覚えていたはずだが、病気をしてしまい何一つ覚えていない。仙台市中野栄在住であるF氏は、一番若い踊り手であったが、やはり以前の踊りを覚えていなかった。そのため、宮城フィルハーモニーの指揮者片岡良和さんの妻、籾江道子先生に新たに踊りを創作してもらい、バレエ教室で習った。現在の鹿踊は、「10割」が籾江先生によって作られた。鹿踊の衣装は、昔の記憶から再構成し話者の長男をモデルに衣装を作った。話者の母は生地となる仙台地織りを買いに行くなど、衣装作成に関った。鹿踊の被り物に多賀城市の市章を入れる創作を施した。着るシャツは野良着(ハダコ)であり、下はモンペをはいていた。現在、長男は保存会には入っていない。
保存会の年間の活動は、初夏のあやめまつり、万葉まつりが主な機会となる。昨年の2月6日、今年の5月22日には友好都市である奈良で鹿踊を披露した。市行政から保存会会長宛に依頼文書が届き、公的な場や対外的な場への出演が要請される。現在の会員数は、議長を辞めた話者が新たに加わり13名となった。多賀城市からの鹿踊、多賀城太鼓への補助金は、50万から20万へと縮小された。保存会会員は、中谷地外出身者が6名である。笛2名、唄1名、太鼓1名、残りの9名が踊り子を担当する。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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