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津波は来るのに時間がかかった。花渕まで到達するのに1時間5分ほどかかった。しかし、一端来ると、なかなか波は引かなかった。一波は一度少し引いたが、そのあとはなかなか引かなかった。
花渕地区で、1人、山形からきたお嫁さんがいた。赤ちゃんを抱いて浜の方に逃げてしまった。いつも浜には人がいるのでそちらのほうが安心だと思ったのだろう。それをおじいちゃんが叱って、山の方に連れて行った。おじいちゃんは94歳になる。
津波がくるまでに時間がかかったため、一度逃げた人が、また、家に物を取りにいっているときに津波にあって亡くなった人が多かった。着の身着のままで逃げているので、少し余裕があると上着やら大事な物などのことを思い出してしまう。
町には1,000人分の食料を備蓄していたが、一気に600人が逃げてきたので、すぐに備蓄が底をついた。
話者家では汐見台にレストランをしていたので、3日間だけ、仕出しをおこなっておにぎりをふるまった。日中は500人くらいになるので、昼ご飯のときにおにぎりを作った。
避難地区には1週間くらいしてようやく食料がくるようになった。
花渕のお寺は、昨年に立て替えたばかりで避難所になっていた。しかし、津波が押し寄せてきて、ここでは駄目だということで、幼稚園バスで、さらに上まで逃げたが、波がひかずに孤立してしまった。その後、自衛隊が救助に来て、ヘリコプターのピストン運転で救助をおこなった。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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