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この地区は、現在38戸で、全部が漁業に関わっているわけではない。その中で震災前は13戸が牡蠣養殖を行っていた。震災後、3戸が牡蠣養殖を続けることを断念したので、今は10名が漁業組合員である。今後も全員が続けていけるか不安なところがある。
この付近の海は浅く、浜から2.5kmのところに牡蠣棚があった。浅い海だと言うことで、以前は海苔養殖、それに浅蜊が主で、魚については特に売るほどのものではない。今は浅蜊は主婦の小遣い稼ぎになっている。50年前から海苔養殖に転じた。
牡蠣の生産量は松島支所で全部管理しているので、これをどう配分するか、漁業管理者が一番「偉く」大変な仕事である。牡蠣は場所によって、成長や質が違い、潮の流れでかたくなったり、身が締まったり、全然違う。そこで3年ごとにくじ引きで漁場を割り当てる。特にこの付近は、浅い海でおおよそ4-5mくらいを中心に牡蠣棚を作っていたので、津波それ自体は東松島などに比べると小さかったけれども、海の上の方が流されるので、ひどく被害を受けた。この数年「ユウレイホヤ」の被害も少なく、順調だったので、打撃は大きい。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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