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J-1 松島町手樽地区
2011
J-1 松島町手樽地区
(PDF)
[調査日]
2012 年 1 月 13 日(金)
[報告者]
岡田浩樹
[調査者]
岡田浩樹
[補助調査者]
小山悠
[話者]
(1)J072手樽漁協前組合長(生年不明 - 男) (2)J073漁協現組合長(生年不明 - 男) (3)J071漁協財務(生年不明 - 男) (4)J068漁業管理者(生年不明 - 男)
写真2 屋号によって分担を決める。ただし、厳密には名前やあだ名など屋号と言えないものも混在している。
タグ
震災前
話者/家
社会組織
生業
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この話者の他の調査ノート
関連カード
地区
被災した際の状況
この浜は人間には被害がなかったが、牡蠣の作業場と牡蠣棚の被害は大きい。地震の時には、ここで作業をしていたが、津波が来るかもしれないということで、浜から離れた。津波は作業場の壁(浜に隣接して建てられている)約1mまで来て、戸や窓が壊れ、いろいろなものを持って行かれたが、人の被害は少なかった...
牡蠣養殖
この地区は、現在38戸で、全部が漁業に関わっているわけではない。その中で震災前は13戸が牡蠣養殖を行っていた。震災後、3戸が牡蠣養殖を続けることを断念したので、今は10名が漁業組合員である。今後も全員が続けていけるか不安なところがある。 この付近の海は浅く、浜から2.5kmのところに牡...
漁業組合と相互扶助
漁業組合の総会は3月の第3日曜にする。場所は地区の公民館である。 地区の37戸は皆すべてが漁業に関わっているというのではなく、松島に働きに出たり、農業をやっている者もいる(専業はいないけれども)。牡蠣養殖は基本的にそれぞれが独立しているので、作業も妻とするが、忙しいときは互いに融通して...
部落と祭礼
37戸の、この部落は3班に分かれている。1月の第4日曜日に新年会をする。その時は皆が公民館に集まり、宴会をする。地区全体の祭りは、熊野神社が春、八坂神社が7月である。
写真1 牡蠣作業場と組合員の皆さん
写真2 屋号によって分担を決める。ただし、厳密には名前やあだ名など屋号と言えないものも混在している。
被災した際の状況
地震があったときは自宅におり、すぐに家の外に出た後に、家族や知り合いの安否を電話で確認したが、なかなか通じなかった。ひどい揺れであり、物が落ちてきたが、自宅やこの地区にはそれほど被害はなかった。むしろ地崩れが心配で妻にそういう所へ行かないように言った。それと気になったのが、川の堤防である...
部落と周辺の部落
幡谷地区は12の行政区であるが、7地区(部落)からなる。小ヶ谷、細山崎、新田、品井沼1、品井沼2、中通、上幡谷、くぬぎ台。明治10年には60戸、これが大半は伊達さま以来の家であるが、それが現在400戸になったのには、戦後、昭和27年に品井沼の干拓がはじまり、そこに人が移り住んできた。移り...
契約講と部落
この地区は松島でも最も古い契約講がある。その記録は講長が持っているが、古いものは明治の最初であり、相澤さんがこれについてまとめたものがある(相澤繁雄「上幡谷契約講の古い記録について」複写)。そういた記録には、今もその子孫がこの地区に残っている。自分の家も含め、この地区の古くからの家は「伊...
神社祭祀
神社は、この地区では八幡神社と高城町の村崎神社で、上幡谷地区は八幡神社で春の6月15日に祭りをする。旗を立てて、総代をはじめとした役員が集まってお酒を飲む。特に部落の皆が集まって神社で何をするということはない。役員が部落の安寧祈願をするだけで、旗を立てる以外に、部落のそれぞれの家で何をす...
キーワード
話者について
昭和20年7月28日に、山元町中浜で生まれた。66歳。家は農家であったが、不動産をやりたかったので、仙台で2年間建設会社に勤め、デベロッパーの仕事を学んだ。その後独立して、不動産会社をやった。遠刈田に仕事場。自宅は山元町中浜だったので車で通勤した。遠刈田で不動産事業をしていたのは別荘地ブ...
中浜神楽保存会について
保存会は30年前ぐらいに関わり始めた。その頃はいろいろな地区で神楽が復興し始めた時期だった。 おおよそ35~40年前に青年の集いや青年文化会で郷土芸能を舞うようになり、他の地区から代表が集まり青年大会が催されていた。その時期に神楽が復興されるようになり、各地区の芸能が復活し始めた。中浜...
親友会について
自分が若い頃、祭の神輿を担ぐ人が祭に携わらなくなり、祭も神楽も行われていない時期が5~6年間あった。地区に青年はいたが、労働形態が農作業から「務め仕事」に変わるなどの社会情勢の変化から、祭だけでなく様々な行事も行われなくなった。 そのときに、「親友会」がたちあがった。青年会は、中学を卒...
神楽の演目
中浜神楽は12の演目があったが、このうちの11の演目を引き継いでやっていた。 (1) 剣舞:矛の剣のおどり(2人) (2) 八幡舞:弓をもっておどる(2人) (3) 幣束舞【ヘイソクマイ】:幣束をもって踊る(2人) (4) 鯛釣り舞(別名:恵比寿舞):つり竿をもって鯛を釣り上げる仕草をす...
震災直前までの神楽の活動
保存会は小学校でも神楽を教えている。学校のクラブという形は取っていない。小学校で神楽を経験した人で保存会に携わっている人もいる。小学生男子の3~6年生を集めて、毎週数人に分けて特定の演目を教える。小学校での神楽の経験者は、中学生になると受験、高校になる受験と就職でなかなか神楽には関わらな...
カグラヤド【神楽宿】
神楽の前の準備として、神楽の舞台を設置することはせず、ブルーシートを用意する程度であった。話者の前の世代ではワラを結んで作ったむしろを敷いていた。前の世代は神楽を舞う場所も現在と異なり、神楽の参加者宅の庭先を「カグラヤド」と呼び、そこに神輿を置いてから舞っていた。カグラヤドは毎年交代の回...
天神神社と中浜地区
中浜地区の中心の神社で氏子は200戸ぐらいあった。天神社の氏子になっている人、天神社のお札をもらえる人は、中浜地区住民、その本家・分家に当たる人ではないか。天神社にはある経緯があって宮司が常駐していない。 4月3日の祭典は神輿と神楽。11月3日にも神社の祭典があったが、行事はなかった。...
東日本大震災における中浜地区の被害状況
山元町の面積、全体の三分の一が津波で浸水し、話者宅も流出した。中浜地区は集落全体が流出してしまい、山元町の南側は壊滅状態、死者数の割合が高い。中浜小学校は流出せずに残っている数少ない建造物の一つである。2011年11月11日に災害用の建築基準法が改正され、津波浸水地域は、海に近い順に1種...
東日本大震災における文化財の被害状況と今後の課題
12月5日に文化財保護委員が開かれ、東日本大震災に伴う有形文化財の指定について審議された。笠野地区の八重垣神社は有形指定文化財であったが、津波により流出したため、有形指定文化財ではなくなった。八重垣神社は、山元町一帯では主要な神社であり、神社に参拝して、初日の出を見て年を越す人も多かった...
東日本大震災後の中浜神楽の状況
11月23日にふれあい産業祭が開かれ、中浜神楽が小学生によって披露された。神楽で使用した子ども達の衣装は、仮設住宅で暮らす母親達によって作成された。その他の道具の準備の過程について話者は把握していなかった。 震災以前の中浜神楽は区民会館で行われていた可能性もあり、会場が津之明神社であっ...
みちのく震録伝 -東日本大震災アーカイブ-
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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