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話者は石巻から月浜に婿に来た。月浜では海苔養殖と、海の家・売店の経営をしていた。津波で海苔養殖の設備等がすべて流されたため、養殖を続けることを諦め、6月からラーメン屋台の経営を始めた。震災を機会に復興したい(新しいことをしたい)と思って始めたのだが、今は瓦礫の撤去をしていた方が良かったかとも感じている。屋台の売り上げは、一日1万~1万5千円程度。そのうち6割ほどが利益になるという。
宮戸島には4つの浜(区)があり、漁業に関しては宮戸漁協(大浜・室浜)と宮戸西部漁協(里浜・月浜)の2つの組織に分かれている。瓦礫の撤去は漁協単位で組織されており、月に25万ほどの収入になると聞いているという。
ラーメン屋台を始めた当初は、被災を逃れた自製の海苔を使ったラーメンが売りで、テレビ等でもたびたび報道されたが、今は当初考えていたほど商売が上手くいかないという感が強い。また、これまでの暖かい時期は良かったが、寒くなってくると一日中外での立ち仕事になる屋台は体力的にも厳しいと感じるという。グリーンタウンやもとの仮設住宅には飲食店の店舗が入っていると聞き、自分も同様に仮設住宅に店舗を持たせてもらえないかという希望を市に伝えたが、そのような希望は他にもたくさんあるという。現在は、普段は奥松島縄文村歴史資料館前に屋台を出しており、休日の昼には月浜などの仮設住宅に行って店を開いている。ボランティアの炊き出しがあると売り上げにならないので、その情報を聞いて店を出す場所を考えている。店ののれんは、最近、ボランティアの人たちが作ってくれたという。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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