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K-1 東松島市宮戸月浜地区
2011
K-1 東松島市宮戸月浜地区
(PDF)
[調査日]
2011 年 12 月 10 日(土)
[報告者]
俵木悟
[調査者]
俵木悟
[補助調査者]
大沼知
[話者]
(1)K082飲食業/震災前は海苔養殖業(1964年生れ - 男)
写真1 話者のラーメン屋台の営業の様子
タグ
震災後
話者/家
生業
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地区
自身の境遇と震災後の転身について
話者は石巻から月浜に婿に来た。月浜では海苔養殖と、海の家・売店の経営をしていた。津波で海苔養殖の設備等がすべて流されたため、養殖を続けることを諦め、6月からラーメン屋台の経営を始めた。震災を機会に復興したい(新しいことをしたい)と思って始めたのだが、今は瓦礫の撤去をしていた方が良かったか...
海苔養殖を諦めたことについて
震災以前から、海苔養殖はあまり長く続けられないと思っていた。近年は利益も芳しくなかった。事業を拡大するには、新しい乾燥機等の設備投資が必要になるが、個人の事業主では国の補助金などを得るのが難しく、行き詰まりを感じていた。 月浜の海苔養殖業者で共業化する話があるが、これだと通年雇用の給料...
写真1 話者のラーメン屋台の営業の様子
月浜の主要産業について
話者は、海苔養殖業と民宿経営を行っており、これは震災以前の月浜に最もよく見られた生業形態であった。また民宿経営をしている家では、多くが別の複合的な漁業にも従事していたという。以下は、話者の認識による月浜での典型的な漁業形態である。 春:アサリ取り(観光潮干狩り含む)、刺し網、定置網(壺...
海苔養殖の協業化について
海苔養殖の共業化については、震災以前から、月浜でも2軒の養殖家が里浜の5軒と共同で操業していた。この2軒以外に月浜には8軒の海苔養殖業があり、そのうち7軒で協業化の計画を進めている。すでに新しい工場2棟の建設予定地も決まっているという(現在、仮設住宅が設営されている区画から、さらに大浜寄...
震災後の民宿経営について
月浜の集落地(地元の人はハマと呼ぶ)は、全戸が津波の被害を受けたことから、今後居住地としては利用できなくなり、集団移転が検討されている(この話を聞いた時点では、調査者はまだそのことを知らなかった。その詳細は、翌日の月浜区長との面談で知った)。しかし新しい居住地は、限られた宅地を希望者に均...
来年のえんずのわり行事の実施について
月浜に伝承される小正月の鳥追い行事である「えんずのわり」は、平成18年に国の重要無形民俗文化財に指定された。近年は、月浜在住の小学生・中学生男子が参加して行ってきたが、今年中学3年生だった1名が抜け、次回の参加者は総勢3名となる。そのうち大将(参加者中最年長の者)となる小学5年生を含む2...
宮戸小学校の統合問題
話者は現在、宮戸小学校のPTA会長をしている。震災後も、学校に通う2人の子どものことを考え、月浜の仮設住宅ではなく宮戸小の仮設に入居することを決めた(宮戸小仮設に入居しているのは、月浜からは話者の家族のみ)。今年度、宮戸小は全校で29名。震災後、学校統合の話が出ているという。統合は野蒜小...
話者自身と五十鈴神社について
話者は、「かみの家」という民宿を経営している。民宿かみの家は高台にあったため、今回の震災でもあまり被害を受けず、震災直後は一部の住民が避難していた。調査時も民宿として営業していた。ただし浜にあった自宅は全壊しており、調査時も話者の家族は民宿に起居していた。自宅に同居していた息子家族は月浜...
えんずのわり保存会とその活動について
月浜のえんずのわりは昭和61年に旧鳴瀬町の、平成5年に宮城県の、そして平成17年に国の重要無形民俗文化財の指定を受けている。保存会は昭和62年1月に、町指定を受けたことで鳴瀬町文化協会に加盟を打診され、それを機会に発足した。なお、この保存会の発足に際して「えんずのわり」という呼称を正式に...
キーワード
話者について
昭和20年7月28日に、山元町中浜で生まれた。66歳。家は農家であったが、不動産をやりたかったので、仙台で2年間建設会社に勤め、デベロッパーの仕事を学んだ。その後独立して、不動産会社をやった。遠刈田に仕事場。自宅は山元町中浜だったので車で通勤した。遠刈田で不動産事業をしていたのは別荘地ブ...
中浜神楽保存会について
保存会は30年前ぐらいに関わり始めた。その頃はいろいろな地区で神楽が復興し始めた時期だった。 おおよそ35~40年前に青年の集いや青年文化会で郷土芸能を舞うようになり、他の地区から代表が集まり青年大会が催されていた。その時期に神楽が復興されるようになり、各地区の芸能が復活し始めた。中浜...
親友会について
自分が若い頃、祭の神輿を担ぐ人が祭に携わらなくなり、祭も神楽も行われていない時期が5~6年間あった。地区に青年はいたが、労働形態が農作業から「務め仕事」に変わるなどの社会情勢の変化から、祭だけでなく様々な行事も行われなくなった。 そのときに、「親友会」がたちあがった。青年会は、中学を卒...
神楽の演目
中浜神楽は12の演目があったが、このうちの11の演目を引き継いでやっていた。 (1) 剣舞:矛の剣のおどり(2人) (2) 八幡舞:弓をもっておどる(2人) (3) 幣束舞【ヘイソクマイ】:幣束をもって踊る(2人) (4) 鯛釣り舞(別名:恵比寿舞):つり竿をもって鯛を釣り上げる仕草をす...
震災直前までの神楽の活動
保存会は小学校でも神楽を教えている。学校のクラブという形は取っていない。小学校で神楽を経験した人で保存会に携わっている人もいる。小学生男子の3~6年生を集めて、毎週数人に分けて特定の演目を教える。小学校での神楽の経験者は、中学生になると受験、高校になる受験と就職でなかなか神楽には関わらな...
天神神社と中浜地区
中浜地区の中心の神社で氏子は200戸ぐらいあった。天神社の氏子になっている人、天神社のお札をもらえる人は、中浜地区住民、その本家・分家に当たる人ではないか。天神社にはある経緯があって宮司が常駐していない。 4月3日の祭典は神輿と神楽。11月3日にも神社の祭典があったが、行事はなかった。...
東日本大震災における中浜地区の被害状況
山元町の面積、全体の三分の一が津波で浸水し、話者宅も流出した。中浜地区は集落全体が流出してしまい、山元町の南側は壊滅状態、死者数の割合が高い。中浜小学校は流出せずに残っている数少ない建造物の一つである。2011年11月11日に災害用の建築基準法が改正され、津波浸水地域は、海に近い順に1種...
東日本大震災における文化財の被害状況と今後の課題
12月5日に文化財保護委員が開かれ、東日本大震災に伴う有形文化財の指定について審議された。笠野地区の八重垣神社は有形指定文化財であったが、津波により流出したため、有形指定文化財ではなくなった。八重垣神社は、山元町一帯では主要な神社であり、神社に参拝して、初日の出を見て年を越す人も多かった...
東日本大震災後の中浜神楽の状況
11月23日にふれあい産業祭が開かれ、中浜神楽が小学生によって披露された。神楽で使用した子ども達の衣装は、仮設住宅で暮らす母親達によって作成された。その他の道具の準備の過程について話者は把握していなかった。 震災以前の中浜神楽は区民会館で行われていた可能性もあり、会場が津之明神社であっ...
学校と神楽保存会
7-8年ぐらい前になるが、小学校から相談があった。郷土のものとしてふさわしいものを伝承したい。これは学校の授業のなかに取り込むためで、創作でも何でもいいが、せっかく伝承するならよりふさわしいものをということだったようだ。このような学校教育への神楽の採用は、20年前にも1-2度あり、その時...
みちのく震録伝 -東日本大震災アーカイブ-
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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