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話者は、海苔養殖業と民宿経営を行っており、これは震災以前の月浜に最もよく見られた生業形態であった。また民宿経営をしている家では、多くが別の複合的な漁業にも従事していたという。以下は、話者の認識による月浜での典型的な漁業形態である。
春:アサリ取り(観光潮干狩り含む)、刺し網、定置網(壺網)
夏:磯漁(男性素潜り、主として鮑)
秋:定置網、海苔の種付け
冬:海苔養殖、刺し網
これらの漁業は、定置網も含めすべて小規模で、基本的に個人または家族(=民宿)で営んでいた。網漁も、とくに特定の魚種を狙うということはなく、季節ごとに入る魚を捕っており、その大半は民宿で宿泊客に供される。漁獲を販売する場合も、少量なので漁協を通さず、直接市場に持っていく場合が多かったという。小遣い稼ぎ程度のものと認識されていた。
民宿経営は夏が稼ぎ時で、海水浴客のほか、学校単位の海洋体験学習の受け入れで安定した客数を確保していた。その他の季節でも、地域の契約講等の団体旅行が、毎年特定の日に来ていたという。こうした事情から、家族経営であっても、一日に少なくとも40名ほどが宿泊でき、宴会を開くための大部屋をもつ民宿の規模が保たれていた。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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