K-3 東松島市宮戸月浜地区

2011
K-3 東松島市宮戸月浜地区
(PDF) 

[調査日]2011 年 12 月 11 日(日)

[報告者]
俵木悟 
[調査者]
俵木悟 
[補助調査者]
大沼知 
[話者]
(1)K076えんずのわり保存会長/民宿経営(1949年生れ - 男) 
話者自身と五十鈴神社について

 話者は、「かみの家」という民宿を経営している。民宿かみの家は高台にあったため、今回の震災でもあまり被害を受けず、震災直後は一部の住民が避難していた。調査時も民宿として営業していた。ただし浜にあった自宅は全壊しており、調査時も話者の家族は民宿に起居していた。自宅に同居していた息子家族は月浜の仮設住宅に入居していた。
 かみの家とは話者家の屋号であり、「神の家」の意であるという。月浜の鎮守である五十鈴神社の永年総代長を務めている。これは五十鈴神社(地元ではシンメイサンと呼ばれる)がもとは話者家の個人所有の神社であり、後に月浜区に寄付されたものだからという。いつから月浜の鎮守とされたかは明らかではない。境内の碑には社殿が昭和17年に築造されたことが書かれており(現在の社殿は昭和55年に改築)、昭和23年には話者家から宮城県神社庁に用地ごと寄付されたという。
 話者家は元は塩竃神社の宮司家の出身と伝えられ、月浜に移って宗教者として活動していたのではないかと勝見氏は考えている。ただし記録はなく、月浜の開村以来の墓地とされる場所も今は荒廃しており、その出自を確認することはできない。しかし今でも神社の世話はかみの家で行うことが、区の住民にも広く認められている。五十鈴神社の旧暦3月18日の例祭には、前夜に幟を立て、ヨゴモリと称して地区の役員らを集めて直会をしている。当日は東名の塩竃神社の宮司が来て祭典を行う。また12月18日を神社の正月といい、地区の人びとが参拝に来るので、その前日17日に注連縄を作って神社に供える。こうした世話は基本的にかみの家の当主が中心になって行うとされる。

タグ

関連URL

この話者の他の調査ノート

関連カード

地区
キーワード

みちのく震録伝 -東日本大震災アーカイブ-

宮城県地域文化遺産プロジェクト

ページトップ