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話者家は、津龍院の過去帳によると、少なくとも230年前から浜市に住んでいる。話者は石巻で被災し、震災後2日目の3月12日は浜市小学校の体育館で過ごし、その後東松島高校へと避難所を移った。避難所は床下がコンクリートで非常に寒く、また足も伸ばせないほど多くの人が避難していた。話者は心臓が悪く、通院していたこともあり、健康面を配慮して娘の家に移った。5月1日より現在の住居にアパート住まいである。
話者の自宅には津波によって泥が流れ込み、アルバムなど記念写真が失われた。話者は農家をやっていた。現在、農地の除塩や地盤整備が進められているが、農業を再開するとなるとトラクターなどの機械が必要で1,000万位の資本がいる。先を考えると元がとれるかどうか分からないので、今年からは土地を貸すということになるだろう。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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