0件
震災時、ディケアサービス会社の仕事で外にいた。震災の時に従業員の安否確認、そして顧客である高齢者の状況把握(大曲浜在住、出身者の高齢者も多い)に追われた。家族は後になったが、母親が津波にのまれた。自宅は全壊だが、その周囲の家が土台ごと根こそぎもってかれているのにも関わらず、自分の家だけは1階の基礎部分と2階が残った。母親は1階にいて津波にさらわれたらしい。このように残ったのは、数年前にリフォームをしたからだとは思うが、今後大曲浜は放棄されるので、今(1月末)段階でもこうやって瓦礫や船が撤去されずに残っている(1月31日にうちあげられた大型船舶は撤去)
→現場での旧大曲浜のかつての状況と被災状況の説明。
大曲浜自体は仮設住宅の住民を中心に、矢本にまるごと移転する方向で話が進んでいる。しかし、他へ移り住んでいく者も多いだろう。保存会は今後若者が担うと同時に、浜を離れてしまうので、県や国の無形文化財に指定されると、今後も獅子舞を続けていくことの基盤にもなるし、また学校などで公演し、子供に教えることもやりやすくなるので、そこのところ希望する。自分たちと他のところの保存会の違いは、外を意識していること。副会長が市役所つとめなので、そういう所は心得ていて、今も外からの取材や応接の窓口になっている。意図的にメディアにも出て、大曲獅子舞の良さを知ってもらうとともに、外に出た住民にも思い出してもらい、行事にまた来てもらうなどの努力をしている。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
ページトップ