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50年前は、トロール、ケーソン漁が盛んで大曲の漁師は豊かだった。漁場はこの付近だけでなく、津軽や北海道まで出漁した。当時は獅子舞は正月明けの大きな行事で、家々は障子や戸を開け、縁側に塩をまいて待っていた。獅子舞は家の中でも舞うのだが、皆酒を飲んでいるし、へたすると、戸や障子をぶち抜いたり、壊すこともあった。獅子舞でもっとも力がいるのは獅子を持ち上げる時に人を持ち上げる役で、こうした者は厄年や婿で来た者が力試しや、厄払いなどの目的でなった。一軒あたり、30分、20名から30名がやってくるのだから、ものすごく賑やかだった。やってきた者にはオショマツ(ふるまい)でもてなした。オショマツの内容は刺身や魚、きんぴらごぼうなど。
当時、若者は飯炊きから入り、漁を覚えると、徐々に役が上がった。船主は別にいて、大曲の者は当初は大曲の船主の船で働いたが、やがてトロールが禁止され、遠くに出るようになると、他所の船に乗るようになり、北海道(根室根拠地)の鮭(ケーソン)だと、あちらこちらのものと一緒に仕事をした。遠くに行けば行くほど、浜に戻るのは正月くらいしかなくなってくる。その当時がやはり故郷に帰ってきたというので獅子舞がもっとも盛んだった時期ではないか(昭和30年代:現会長はその当時には生まれていない)。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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