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正月:鏡餅を作る。それも家の分と船の神様(お舟玉)の分とそれぞれ作る。そして、それを盆の上に載せて神社へ行って礼をする。これは男性が行う。
獅子舞も正月に行われるもの。一昨年まではコミュニティセンターでやっていたが今年は浜に2人しか若者(男性)がいない。だから多分無理だろう。舞い手は男性が担う。先頭を中学生が歩き(その役割をシシハヤシという)、その後ろに獅子がついてくる。その役目は村の子どもたちの中にも必然的に刷り込まれているようで「中学生になるとするものだ」と考えているようだった。だから、何も言わずとも参加していた。ある時、片親の子がそれに参加しようとして、話者①の上の世代(80代ぐらい?)の者がそれに反対した。なぜなら、目出度い獅子舞の舞手として片親の子はふさわしくないといわれているから。でも、そんな考え方は古い、といって区長の権限で説得して参加させた。昔獅子が集落を練り歩く際に、シシハヤシの子供たちは、サカゴといって各戸をまわりみかんやらお菓子やらを子どもたちがもらっていった。最近はコミュニティセンターで一括して獅子舞を踊るだけになったが、袋にお菓子を詰めたものを用意しておき、子供たちに配る。普段は獅子舞の装束や太鼓などの道具はセンターに仕舞われている。
2月9日:「人形様」という疫病を払う行事が行われる。これが唯一浜の人間や浜に昔住んでいた人間が全員そろって参加する、この浜(新山)で一番大きな行事といえる。
区長と氏子総代(60歳以上の者から構成される)、総代の中から選ばれる総代長が中心になって祭りを取り仕切っている。人形様は藁で作られた巨大な藁人形である。作る時は集落の皆が協力してつくる。そしてこの藁人形に紙に書かれた「人形様の顔」を貼りつける。顔は本来年ごとに墨で書いて貼っていたが、最近では自分で書ける人が減り、それがどういうものだったか忘れないように今ではコピーをとって区長が保管している。大体A3サイズの神に鬼のような強面の顔が描かれている。
祭りの当日、各家庭ではそれぞれ家族(世帯を共にしていない子供や孫の分も作る人が多い)の数の団子と人形様の分の団子を1つ作り、それをすべて1本の茅にさしていく。茅は団子をさせるくらい強いものを選ぶ。そして、できあがった団子の串を人形様の頭部に刺す。団子を人形様に刺す前に、家族の体の悪い部分(目が悪い人は人形様の目のところ)の上でぐるぐる回すようにする。そうすると、人形様が悪いものを引き受けて持って行ってくれるのだという。人形様は浜のところにもっていかれるが、本当はそこでダンゴを捨てた方がいいのだが、持って帰ってくる者がいる。持って帰ってきてもねぇ、そこに病気なんかがくっついているように思うがもったいないのだろう。
団子は基本的に無味で団子粉を使用して作る。最近ではヨモギ粉などを使う人もいる。
2月28日:ムラザカイ(村栄え)をする。60歳以上の男性が神社へ参拝する。この際には神主など呼ばずに自分たちだけで行う。村が栄えるように、という意味ではないかという。
10月27日:神社にて行われる火の神さまの祭がある。大体1週間ほど前に集まって準備を行う。定められた「火を燃やす場所」に木を人の高さぐらいまで組んでいく。よく燃えるよう生木は避け重ねる際も火がよく燃えるように重ねていく。祭りを取り仕切るのは氏子総代である。当日は、キュウブン(給分浜のことか)から神主さんを呼び、組み上げた木に火を付け、火の神にお祈りをする。当日はセンターに皆で集まって宴会をする(カラオケなども)。火は一晩中燃えるが、あまり長い時は早く燃えてしまうようにする。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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