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地震発生時は神社の裏で作業をしていた。自身も消防団の一員だったので、津波に備えて、水門を閉めに向かった。神社が避難所になるので、その準備を始めた。波の上がる様子を見ていたが、明らかに今まで見た早さとは違っていた。神社にいた母と息子と一緒に家の裏に逃げ込んだ。嫁は、(嫁の)祖父の葬式のために大街道に行っていた。葬式中に津波が来たため、大街道小学校に避難した。嫁が無事だという話を聞いてはいたが、無事に会えたのは、1週間以上後だった。娘は、隣の地区の憩いの家に避難していた。震災当日から、子どもたちは食事ができたが、子どもたちは親に会いたくてしょうがなかったらしい。入ってくる情報は、おおざっぱなもので、娘の捜索に行きたくても、母と息子を置いて捜索に行くこともできなかった。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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