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その後、海洋青年の家が避難所に指定されず、物資も来なくなるといううわさが広がり始めた。建物にひびが入り、避難所の基準を満たさないとの話だった。300人以上いるから大丈夫だと話す人もいたが、4月に入るとこうした噂を聞いて登米や鳴子等へ移る人も出始めた。ここでは電気や水もなく不安があったが、登米や鳴子ではそれがあったので。また、志津川の町の方では南三陸町がホテルを用意した、早くしないとなくなるという話もあったことも大きかった。
その後に仮設住宅の建設が始まったので、抽選で他所の人も住めるようになったが、波伝谷ばかり300人が揃ったまま建設が始まっていれば、せいぜい戸倉くらいの範囲でまとまって住めたかもしれないと話者は思っているそうである。
また、女川原発が爆発するかもしれないという、どこから出たかわからないような噂も流れ、その際に放射能を防ぐためと言って、窓や入り口のところに幕を張ったこともあった。車でテレビなども見たが、福島原発のニュースしかなく、女川原発がどうなっているかわからなかったためだという。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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