Q-1 南三陸町戸倉波伝谷地区

2011
Q-1 南三陸町戸倉波伝谷地区
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[調査日]2012 年 2 月 26 日(日)

[報告者]
政岡伸洋 
[調査者]
政岡伸洋 
[補助調査者]
岡山卓矢 ・ 遠藤健悟 ・ 大沼知 
[話者]
(1)Q120(1954年生れ - 男) 
養殖業の再開と「がんばる漁業」

 1月に入ってから水産庁の復興支援策である「がんばる漁業」がはじまった。これは、国が3年間管理して(実際は県であるが)共同作業で行い、かご・網といった機材や船などの費用も国や県から補助してもらえるため初期費用がかからず、この事業が終わる3年後にはそうした道具類も譲ってもらえることになっている。戸倉として、カキ・ワカメ・ホタテを対象に、共同で水揚げし、それを国が買い取って給料を出すという仕組みになっており、赤字の補てんも行うことになっている。これらの品目は、今までやってきたものだからである。「がんばる漁業」の受け入れに際しては、これ以外にもいくつかの選択肢があったが、漁業組合で話し合って決定した。なお、これに参加するのは震災以前からやってきた人で、家族で従事することも可能であるが、1人だけが正社員となり、あとはアルバイト扱いになる。今年度は期間が短いということでワカメをやろうということになった。カキは、成長は早いそうだが、剥く施設がないので、まだ出荷できない。ギンザケに関しては、これとは別であるという。この「がんばる漁業」に関しては、2月20日付の『水産新聞』に詳しい。
 2月27日がワカメの刈り入れであるが、養殖しているのは、震災以前と同じ場所である。作業の場所は、本来ならば波伝谷漁港を使うはずであるが、損傷が激しく地盤沈下しており、一部をかさ上げして船がつけられるようにはしたが、船着き場以外は水に浸かっており、県の管理ということもあって、道路部分の管轄も違うなど、工事がなかなか進まず、仕方がないので町が管理する漁港(震災前に小山漁業部が使用していた場所)を使用している。ただ、機械の調子が悪く、なかなかうまくいかない。このほか、ワカメを仙台の人に贈ったが、以前ほど喜ばれず、不安もあるという。
 湾の反対側ではこれに参加せず、5~6人で組合のようなものをつくり、再開したところもあるが、話者も一緒にやろうという人がいればそうしたかったという。1人でもやろうと思えばやれるのだが、戸倉として「がんばる漁業」をやっているので、果たして個人に養殖場所を貸してくれるかわからなかった。また、震災前は組合へ卸す分もあれば個人で売る分もあり、自分のペースで働けば働くほど収入になったが、「がんばる漁業」は初期費用がかからない半面、いくら働いても一律の給料制となっており、戸惑いも隠せない。このような共同作業を前提とした民間特区みたいにしてしまおうという話は以前からあり、こっちの方がいいと思う人もいただろうが、震災復興を契機に漁協として採用したわけだが、やりたいようにやりたい人にはどうもなじまない、漁師ならみなそう思うのではないかと語っていた。
 なお、漁協の役員は組合代表、運営委員(理事)、小委員(部落代表)からなり、運営委員・小委員ともに部落から1名出すことになっている。話者は、12月いっぱいまで運営委員であったが、「がんばる漁業」をめぐって上と意見が合わず、任期途中であったが辞表を出したという。
 この「がんばる漁業」を採用しているのは、戸倉のほか、ノリの塩釜と雄勝の3組合だけで、志津川はがんばる漁業とは別に、地区単位の組合と養殖品目単位の組合の2種類できた。十三浜は個人で再開しているが、補助の額が少ないことと、それが後払い制であることから、なかなか難しい状況にある。その点で「がんばる漁業」は、資材の補助等がすぐに出るのは良い。しかし、個人個人で感じ方は違うようだが、時間を決められ働くことには抵抗感があり、あまり採用するところがないのは嫌だからではないか。ただ、家を今後建てる資金の工面を考えると迷いどころだ。これを採用した結果が良かったかどうかは、3年後になってみないとわからないという。

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