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ボランティアが来るようになったのは、4月の中頃だった。最初の頃は、ボランティアと一緒に寝食をともにしていた。本来、ボランティアは自分の食事は自分で準備するものだが、中には寝食するだけのホームレスのような人も混じっていた。最近は、そういうこともなくなり、YMCAや企業、またバスツアーで来るボランティアが多い。長くいるうちに仲良くなり、志津川の物がほしいと言えば送ってあげたりする関係になった人もいる。中には、専門的な知識や技術を持っている人もいて、電線やチェンソー等の機械を修理してくれたりした。また、水はかぶらなかったが、くたびれた神社の太鼓も、長野のまつり工房からきた人が無料で直してくれた。皮を張り替え塗りなおしてもらったのだが、太鼓を持って行ったまま連絡がつかなかった時期があって、怪しいのに渡してたいへんなことになったと思ったりもしたと、話者は笑いながら話していた。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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