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震災後、波伝谷の人びとは海洋青年の家に避難していたが、着の身着のまま逃げてきたためお金がなかった。そして、4月4日に登米や鳴子に避難する人も多かったので、契約講のメンバーが集まり、そこで契約講の積立金を講員全員に分配し、この先どうなるかわからないので、一時休講とした。これが4月1日ごろのことであった。
契約講を復活させよう話が出てきたのは、10月中頃のことであった。高台移転の件で、講長経験者で構成される顧問たちが集まって話しているうち、やはり契約講が中心になって進めるべきだという感じになった。その後、その後、仮設の寄合を臨時総会に換えて話し合いとなった。この頃はすでにほとんどの家が仮設住宅に入っており、他所へ出ていった家も多かったが、休講状態となって40人ほどになっていた講員のうち、34人が集まり、過半数も超えたことから、急きょ総会となった。本来、3月12日に総会を行い、ここで役員の改選が行われる予定だったが、前日に東日本大震災があり、そのままできずにいた。
こういう状況なので、講長にもう1年やってほしいという話になったが、講長を譲りたいという意思は固く、新役員をどうやって決めるかについて話し合うことになった。通例なら、副講長が講長に、会計が副講長になって、会計を誰がやるのかを決めることになっているが、副講長が講長にはならないと強く固辞したため、この時には話がまとまらなかった。
そこで、翌週の日曜日に波伝谷仮設住宅の集会所に、現役員と歴代の顧問8人くらいが集まり、新講長を決めることとなった。副講長に再びお願いをしたがここでも断られ、それならば会計はということになったが、前年の11月にその息子さんが入籍し、世代交代と重なってしまったため、契約講から抜けることになっていた。2~3時間話し合いを持ったがどうにも決まらなかったことから、話者が手をあげ、顧問も賛成したことから、話者が新講長となった。こうして三役すべてが入れ替わることになり、それまで役員はしていたとはいえ、やはり三役経験者でないとわからないことも多い。今までは、会議があれば講長はカバン一つ分の資料を持ちこみ、これを見て話せたものだが、津波で流されなくなってしまったので、顧問に聞きながらやるしかない。このような状況での契約講の総会は初めてだし、家が建ちはじめ集落ができてからでも遅くはなかったのではないかとも思ってしまうとのことであった。
この10月の臨時総会では、年2回の日程も決められた。本来なら、3月第2土曜日が契約講の総会で、翌日が獅子舞だったが、今年は3月11日と重なるので難しい。そこで、3月4日に総会をやることになった。今回は議題が多いが、海洋青年の家で行うため3時間しか会場を借りられず、波伝谷文化センターでやっていたようにはいかず、また書類をそろえるなど準備もたいへんである。
このほか、契約講の積立金をすべて分けてしまい、また津波の被害がない場所は減免措置もないことから、山の固定資産税4万6,900円を支払うのもたいへんな状況となっている。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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