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波伝谷仮設住宅を建設するまでの経緯は、海洋青年の家等での共同避難生活がたいへんだという話を聞き、私有地の高台にも5軒ぐらいあれば仮設住宅を立てられるという話も聞いたので、話者のヤマ(私有地)に建設しようと考えた。また、波伝谷のお年寄りが遠くの仮設にいってバラバラになるのはたいへんだと思ったことも理由の1つであった。波伝谷仮設住宅の土地は話者を含め3軒の土地を使っている。
仮設住宅に土地を提供しようと思ったのは、鳴子に避難しているときであった。はじめは、サワの人たちで相談しそれでやろうとしていたが、他にも仮設住宅に入れない人がいるので、声がけした結果、23軒の希望があった。その後、津の宮の仮設住宅が5軒あいていたので、最終的に18軒がここに住むことになった。ここには、波伝谷の人たちだけが暮らしている。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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