S-1 気仙沼市鹿折浪板地区

2011
S-1 気仙沼市鹿折浪板地区
(PDF) 

[調査日]2011 年 12 月 28 日(水)

[報告者]
梅屋潔 
[調査者]
梅屋潔 
[補助調査者]
相澤卓郎 
[話者]
(1)S137鹿折公民館館長/浪板虎舞保存会幹事長(1944年生れ - 男) 
被災した際(3月 11日)以降の状況

 地震があったときには職場にいた。90になる母と妹の安否確認に自宅に戻った。自宅は壊れたものもなく、母も妹も無事だったが、大地震の後には津波が来る、との認識があったために、津波が来たら2階に上がっているように2人に言い置いて、職場に戻った。
 公民館に戻ると避難民があつまってきていた。15時か16時になっており、次第に寒くもなっていた。津波に備えて、布団やブルーシートなど避難生活に必要と思われるものを2階研修室に運搬し、避難民も2階以上に避難させた。ひととおりの公民館長としての仕事を終えた後、周囲に促されもして自宅へ向かったようだ。気がつくと軽トラックに乗っており、浪板橋を渡ろうとしたが海岸の方から来る車や山手から来る車で挟まれて身動きができなくなった。そのうち渋滞の間隙にわずかな隙間を通って、なんとか自宅にたどり着いた。
 普通は自宅まで1分程度。そのときにはすでに津波が遠くに来ていたようだ。親類が「津波が来てるぞ」と声をかけたと後で聞いたが、そのときは気がつかなかった。家につくと母が荷車を押して庭先に出ていた。妹は自転車で、母は軽トラック助手席に乗せて、荷車は荷台に乗せて山手(やまて)に逃げた。光ヶ丘病院という神経科・精神科の病院があるあたりである。道沿いに上がれば高台まですぐなのだが、まさかそこまでは来ないだろうと思い、道沿いではなく病院の職員用駐車場の中を通って避難した。駐車場の突き当たりにある一軒家までたどり着いた。そこに停めて、後ろを見たら津波が来ている。堰の方が速度が速いらしく、追い抜かされた。車を乗り捨てて母親を負って山に登った。
 後ろを見たら、流されてきた車と、駐車場に駐車してあった車が山になって折り重なっていた。ハザードランプが点滅したままだったり、クラクションを鳴らし続けていた。(追い抜かされた覚えはないのだが、後にその場所から公民館近辺でわかれた虎舞のおじいさんの乗った自動車が発見された。虎舞をしていた子供たちもなくなっていた。流されてきたのであろう)潮が何回か上がり下がりしたが、すでに瓦礫の山に封鎖されて来た道は戻れなかったので、身動きができず、その奥にある1軒の家に4日間世話になった。2日間は出られなかったので、連絡することもできず、公民館では津波の方角に向かっていった館長が犠牲になったのではという声もあったようだ。
 3日目、光が丘の職員が瓦礫を除去して道が通ったので、公民館の方に連絡がつき、午前中に浪板、昼過ぎに大浦、小々汐まで安否確認に行った。瓦礫だらけで通り道もなかった。旧知の人びとの安否を確認し、2時間半かかって行ったら、暗くなるのでとって返した。光が丘についた頃には、暗くなった。それが3日目。4日目は鹿折駅付近を確認してその日も終わった。5日目(15日)の朝、消防に4:30に起こされた。付近の大浦が火事になったという。世話になっていたご家庭の奥さん(看護師)が4日目にしてはじめて自動車で帰宅した。ご家庭の娘さんが嫁に行っている西中才の方に避難するという。その自動車に便乗して、母親の実家がある(山手にある)早稲谷に連れて行ってもらった。早稲谷に母と妹を預けて状況把握のためにまた鹿折に戻った。帰りは暗いトンネルを自転車で早稲谷に小1時間かかってたどり着いた。それからはそこを拠点に、数少ない軽トラックを借りて早稲谷から通って、地区の安否確認に回った。
 4月ごろから公民館が鹿折小学校に間借りすることになった。そこもかなり(後に専門家が来てはかったところ床から140センチ)浸水していたし、ヘドロが、建物は無事であったので、東中才の自治会長、小学校のPTAなど地域の方々が清掃してくれた。公民館では、市の支援センターからの物資を配給した。衣類や子供用品、衛生関係などの物品のニーズも調査した。毎週日曜日朝9:00から、のべ14回配給を行った。9時からだが7時にはもう行列ができていた。平均すると1回250人ほど集まっていた。最後希望の品がなくなっても鹿折の人びとからは感謝の言葉しか聞かれなかった。鹿折の人びとのマナーのよさに感銘を受けた。ボランティアのありがたさも身にしみた。
 私自身は、6月まで早稲谷に身を寄せていたが、自治会長の口利きで、現在鹿折小学校向いにあるアパート住人が仮設に移ったため空きができ、修理完了後すぐに入居することができている。
 10月9日には、復興を期して「祈念まつり」を開催し、2,200人から2,300人の人を集めた。

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