S-2 気仙沼市鹿折浪板地区

2011
S-2 気仙沼市鹿折浪板地区
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[調査日]2011 年 12 月 29 日(木)

[報告者]
梅屋潔 
[調査者]
梅屋潔 
[補助調査者]
相澤卓郎 
[話者]
(1)S133浪板虎舞保存会長/鹿折八幡神社氏子総代長/日渡水産社長(水産加工業)(1933年生れ - 男) 
お年とり

 神棚も無事であるので、例年に近いものはしたいと考えている。正月には七房のついたしめ縄、スカシ、(紙の)網、星の玉(ほしのだま)を7枚セット(ほかに5枚セット、3枚セットがある)になったものを天照皇大神宮の札と一緒に八幡神社から選ばれた総代役が12月1日に祓いを受けてもらってくる。星の玉は、松竹梅や万両カブなどと一緒に海老が描かれたもので、めでたいことを表す。父の代でしめ縄は自分でつくるのをやめたが、昔は自分でつくっていた。しめ縄から垂らす房は、左から7、5、3、5、5、3、5、3、3と垂らしたものだ。星の玉は市内の新城の引退した元漁師がつくっている。「開運福禄寿」のスカシは、八幡神社宮司のE氏がつくったものである。仏壇の左にしめ縄、その下には星の玉2枚、右に紙の網と御幣、下には左から星の玉3枚、大国主。右正面上には恵比寿大黒が祀られ、その下には、事代主、星の玉2枚、「大漁」「満作」「千万両」「餅」「宝船」窯神を貼る。その上にはお守りをおさめる棚があり、長磯の穐葉(あきば)神社、厳島神社、八雲神社、成田山新勝寺の札がある(家の4代目の人が成田に参ったときのものだから飾っている。現在ならともかく当時成田山に参るのは大変だったろう)。家には4つ神棚があり、それぞれ天照皇大神宮、大年神、恵比寿・大黒天が祀られている。4つめにはお札を飾っている。4つの神棚ではそれぞれ飾り付けが異なる。それぞれ飾るものは異なってはいたが、御幣束とスカシは共通して飾っていた。
 31日と1日は、床の間でお膳を囲む。オガミゾナエといって箕にお餅をふたつ入れて松の枝を乗せて四方拝して餅を切り、囲炉裏で焼く。供物台には、松の枝と赤と白の幣束が置かれており挨拶に来た人のお祝いをそこに置くことになっている。赤い幣束は1月12日に山に供え物とともにオハネリ(お米)を蒔いて山で拝む。1日に若水汲みをしてそれで料理の支度をする(昔は若水桶を使ったが現在はあるものを使う)。現在は行わなくなって20年以上になるが、3ヶ日はまめがらの火で竈を炊いた。4日にヤマイレ(山入れ)といい、山でオハネリを蒔いて柴刈りのまねをして松の枝を持ってくる。6日はツメキリユ(爪切り湯)、7日は七草、11日は農ハダデル(はじまる)といって、農作業をはじめる日である。ヤマイレで持ってきた松の枝は、新年初めての雷の日(ハツライサマ:初雷様)にマユダマ(繭玉。1月13日から20日ぐらいまで飾る)の一部とを一緒に燃やす。20日はマユダマガユといいマユダマを降ろし、粥を食べる。昔は濡れ縁だったので、杉を切ってきて濡れ縁におき、しめ縄など正月飾りをそこにかけておいた。昔はその杉を秋に稲掛けにした。カレイ(家令)として菜っ葉は6日まで、つまり七草が過ぎるまでは食べない。肉も七草まではまず食べない。1日朝夕、2日朝夕、3日朝夕、5日朝夕、9日朝夕、11日朝夕、12日朝夕、15日朝夕、19日夜、20日は朝夕(マユダマガユ)にお膳が出る。
 元日は菩提寺である興福寺と宗旨は違うが浄念寺、そして八幡神社に参って新年会に顔を出す。浄念寺には、100年前に当家に居候していた「300年インキョ」と呼ばれていた人が浄念寺で弔われているので、拝みに行く。あちらこちらを渡り歩き、あちこちで過ごした年数を足すと300年になってしまうということでその名がついたそうだ。5日にはお寺が年始の挨拶に来る。住職は、日渡のほか、西城(屋号)、小野良組(屋号)など寺が開基のときの檀家5軒に挨拶に行くという。日渡は現在護寺会の副会長をしている。

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