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S-2 気仙沼市鹿折浪板地区
2011
S-2 気仙沼市鹿折浪板地区
(PDF)
[調査日]
2011 年 12 月 29 日(木)
[報告者]
梅屋潔
[調査者]
梅屋潔
[補助調査者]
相澤卓郎
[話者]
(1)S133浪板虎舞保存会長/鹿折八幡神社氏子総代長/日渡水産社長(水産加工業)(1933年生れ - 男)
写真1 しめ縄、天照皇大神宮の神棚と御弊。下がって
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震災前
年中行事
信仰
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S133浪板虎舞保存会長/鹿折八幡神社氏子総代長/日渡水産社長(水産加工業)
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S-5 気仙沼市鹿折浪板地区
(PDF)
関連カード
地区
被災した際(3月 11日)以降の状況
地震があったときには職場にいた。90になる母と妹の安否確認に自宅に戻った。自宅は壊れたものもなく、母も妹も無事だったが、大地震の後には津波が来る、との認識があったために、津波が来たら2階に上がっているように2人に言い置いて、職場に戻った。 公民館に戻ると避難民があつまってきていた。15...
鹿折と浪板虎舞保存会の被害と今後
震災で亡くなったのは、前幹事長で顧問、会計兼副会長(規約上自治会長は保存会副会長を兼ねることになっている)夫妻。浪板1地区では6名、浪板2地区では17人、計23名が犠牲になった。 もともとは、カトク(家督)つまり長男しか虎舞に関わることはできなかった。しかし、大学にいったり、就職したり...
トーメー(当番)
八幡神社の御輿の担ぎ手、ロクシャク(陸尺)はトーメーと呼ばれる当番制で担当することになっている。鹿折地区では4つの地区(中才・浪板・蔵底(くらそこ)・東八幡)で毎年当番を決め、八幡神社での祭礼をおこなっている。当番はこの4つの地区でローテーションにより決め、中才・浪板・蔵底・東八幡の順番...
それ以外の社祠
話者は5人兄弟である。一番下の弟がトロッコの下敷きになったことがある。命が助かったので、その場所にオダルガミ(山の神)を祀り父と弟の名で木の鳥居を寄進した。その後それは朽ちてしまったので、その土地の地主が鉄筋の鳥居を建てている。 八雲神社には、祖父の代にイドバタアミというカツオの一本釣...
お年とり
今年は、自宅も神棚も流されたので、正月飾りは市販の丸いしめ縄を飾るだけの簡便なものにしようと考えている。本来は母屋には三つ揃えの松、7本のしめ縄を飾り、離れには二段の松に5本のしめ縄、水回りには3本の輪、また井戸、風呂、離れの水道、トイレ、自転車、自動車、耕耘機、臼、若水迎えの桶など10...
被災時の状況
震災当時、自分は市内(市街地)にいた。工場で加工するための原料を運搬中に被災した。当時工場では16名(うち2名は実子)が働いていた。津波が来るのはわかっていたので、従業員は自宅に帰し、息子に工場の真空包装機など高価な設備をフォークリフトで避難させた。魚市場が見える裏の山(地所)に家族4人...
虎舞と八幡神社のトーメー(当番)、村の組織
虎舞は飯綱神社でまず奉納をして、漁で生計を立てているところを回るものだ。須賀神社は150年ほど前から現在のかたちで崇敬されていたと聞いている。現在の別当はA(屋号は岩城)、渾名は「50番」。タクシーをやっている。飯綱神社の別当は、長浜(屋号)。名字は同じくAである。須賀神社自体は12、3...
お年とり
神棚も無事であるので、例年に近いものはしたいと考えている。正月には七房のついたしめ縄、スカシ、(紙の)網、星の玉(ほしのだま)を7枚セット(ほかに5枚セット、3枚セットがある)になったものを天照皇大神宮の札と一緒に八幡神社から選ばれた総代役が12月1日に祓いを受けてもらってくる。星の玉は...
家の歴史
当家は、私で16代目になる。父も祖父も婿養子であったため、なかなかシュウトオヤとの関係が難しかったと聞いている。祖父が芸達者だったため、父はしょっちゅう歌を歌わされて参ったという。 もともとは、海苔、牡蠣、コウナゴ漁などを家業としていたが、チリ沖地震(昭和35年)の津波があり、その翌年...
写真1 しめ縄、天照皇大神宮の神棚と御弊。下がって
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話者について
昭和20年7月28日に、山元町中浜で生まれた。66歳。家は農家であったが、不動産をやりたかったので、仙台で2年間建設会社に勤め、デベロッパーの仕事を学んだ。その後独立して、不動産会社をやった。遠刈田に仕事場。自宅は山元町中浜だったので車で通勤した。遠刈田で不動産事業をしていたのは別荘地ブ...
祭典の時の神楽
神輿のある天神社は高台の山にあった。まずはカミサマを降ろして、神輿を降ろす。その時に奉納神楽をやった。このときには特に秘密ではなく誰でも見ることは可能だった。その後神輿を担いで中浜地区の集落を回った。生活センターや集会所の前にさしかかると、神輿を地面に下ろして神楽を舞う。中浜地区の住民、...
震災直前までの神楽の活動
保存会は小学校でも神楽を教えている。学校のクラブという形は取っていない。小学校で神楽を経験した人で保存会に携わっている人もいる。小学生男子の3~6年生を集めて、毎週数人に分けて特定の演目を教える。小学校での神楽の経験者は、中学生になると受験、高校になる受験と就職でなかなか神楽には関わらな...
天神神社と中浜地区
中浜地区の中心の神社で氏子は200戸ぐらいあった。天神社の氏子になっている人、天神社のお札をもらえる人は、中浜地区住民、その本家・分家に当たる人ではないか。天神社にはある経緯があって宮司が常駐していない。 4月3日の祭典は神輿と神楽。11月3日にも神社の祭典があったが、行事はなかった。...
東日本大震災における中浜地区の被害状況
山元町の面積、全体の三分の一が津波で浸水し、話者宅も流出した。中浜地区は集落全体が流出してしまい、山元町の南側は壊滅状態、死者数の割合が高い。中浜小学校は流出せずに残っている数少ない建造物の一つである。2011年11月11日に災害用の建築基準法が改正され、津波浸水地域は、海に近い順に1種...
写真1 正面から見た八重垣神社跡
写真2 正面右に集められた神社残骸
写真3 鳥居や石碑
写真4 小祠
最近の状況(2011年 12月調査以降から 2012年2月)
2月23日木曜日午後7時から教育委員会で、他の神楽保存会の人も含めて今度の対応を協議する事になった。宮城県文化保護課のA氏から文化財保護振興政策と地域社会の関与具体的には各種補助制度などに関する説明会。 今までも町独自の予算としては無形民俗文化財保護について、年間1.3万円だった。これ...
みちのく震録伝 -東日本大震災アーカイブ-
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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