S-7 気仙沼市鹿折浪板地区

2011
S-7 気仙沼市鹿折浪板地区
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[調査日]2012 年 1 月 28 日(土)

[報告者]
梅屋潔 
[調査者]
梅屋潔 
[補助調査者]
 
[話者]
(1)S135本吉響高校教諭(1955年生れ - 男) (2)S136話者①の妻(1951年生れ - 女) (3)S138話者①の婿(生年不明 - 男) 
「長浜」の由来

 長浜屋敷と呼ばれる屋敷が飯綱神社の裏手にあった。ながらく浪板の塩田の肝煎りであったらしい。津波で流れたが、租税を塩で納めた記録が残っていたようだ。気仙沼市史編纂室の調査員が熱心に調査していた(A氏)。B氏も来ていたのを覚えているが彼はもっぱらイワシ漁のことを調べていた。平成3年に亡くなった祖父が、インタビューを受けていた。家系図もあったが、系図屋から購入したものだ。私で17代目にあたる。長浜屋敷にまつわる民話もあるようだが、ラジオでたまたま耳にした程度で、詳細は思い出せない。大浦には「大家(おおい)」「小浜(こばま)」という旧家があるが、そこよりも古い、という人もいる。火事で文書が焼けており、今度の震災で新しいものも津波で流されたので、書かれたものは残っていない。おそらくは(酒ともいわれるが、不確実)、財産を失い、大浦長浜という、浜があったところに移転したものと思われる。大浦の屋号にも「長浜の上」など、長浜にちなむものが多い。その時に一対の金無垢のお稲荷さんの本尊(権現とも称される)を売り払ったとみえ、現在では秋田の医師がそれを所有しているという。現在のご神体は、コンクリートのようだ。飯綱神社には、「葉山」の碑もある。

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