T-2 気仙沼市唐桑町早馬神社

2011
T-2 気仙沼市唐桑町早馬神社
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[調査日]2012 年 2 月 17 日(金)

[報告者]
植田今日子 
[調査者]
植田今日子 
[補助調査者]
相澤卓郎 
[話者]
(1)T143早馬神社宮司(生年不明 - 男) 
ウラバライ /ハマバライ(ケガレ祓い)

 春の予祝儀礼であるウラマツリに対して、忌みケガレを祓うである儀礼であるウラバライがある。ウラバライは当該のウラを旅立った船が海難事故によって亡くなってしまった場合、あるいは当該のウラに船をつないでいた漁船が遺体を連れ帰った場合、そしてウラに遺体が流れ着いた場合に繰り返し執り行なわれてきた。この儀礼をとりしきるのもウラマツリ会であり、神社の宮司であった。寺(地福寺)の僧侶が御施餓鬼供養を行ない死者に供物や真水を捧げたあと、神社によってウラでひきつづきウラバライが執り行なわれる。ウラバライでは浜に祭壇がもうけられ、宮司やウラの人びとが祈祷し死者に酒などの供物をささげたあと浜が清められる。この儀礼を終了してはじめて漁師たちは船をだし漁をすることができた。ウラバライを行う前に出漁、出航することは唐桑で禁忌となってきた。通常、このウラバライは死後7日を経過したころに執り行なわれてきたというが、今回の震災では百箇日(平成23年6月19日)を経てようやく執り行なわれた。これはウラバライを執り行なうにも港湾が地盤沈下していて難しかったという理由もあるが、あまりにも死者が多く、なおかつウラバライを行うことで行方不明者を死者と認めることにもなってしまうためにためらわれたからだという。今回の津波犠牲者を悼み、この死を祓うためにウラバライはそれぞれの浦々ではなく小鯖港の一カ所に遺族らが集合して行われた。通常は集合しない漁協の代表らも集った。
 7月には笹浜、高石浜、金取浜で身元のわからないおそらく津波犠牲者のご遺体がたどりついたというが、このときもハママツリ会のメンバーが船をだして遺体を引き上げ、ハマバライを行ったという。ご遺体を引き上げた船も祓われたという。かつてより水死体をひきあげた船は大漁すると伝えられている。

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