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T-2 気仙沼市唐桑町早馬神社
2011
T-2 気仙沼市唐桑町早馬神社
(PDF)
[調査日]
2012 年 2 月 17 日(金)
[報告者]
植田今日子
[調査者]
植田今日子
[補助調査者]
相澤卓郎
[話者]
(1)T143早馬神社宮司(生年不明 - 男)
写真1 被災後一カ所で行われたウラバライ(2011.6.19小鯖港)
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震災後
祭礼
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震災
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唐桑漁船の被害状況全般について
開示していただいた統計によれば、宮城県漁協唐桑支所に登録されている約960艘の漁船のうち、流失を免れたのは300艘余りといわれている。流失した船のほとんどは沖出しの不可能な1t未満の漁船であったという。それらは年に1度の開口の日にアワビやウニ、雑海藻をとるためのいわゆる「イソブネ」である...
唐桑の“大きな船”「小型漁船協同組合」の役割
唐桑では“大きな船”といえば20t未満の「小型漁船」である。これらはすべて宮城県漁協唐桑支所の「小型漁船協同組合」に所属している。これらの船は早馬神社例大祭、御崎神社例大祭において御神輿をのせる「御召船」、先導する「御先船」、御召船に供する「御供船」の役割を引き受けている。今回の震災の後...
唐桑漁船の組織形態と非常時の船の動きについて
以下は宮城県漁協唐桑支所の組織図である。カキ、ホタテ、ワカメの各部会は養殖に関わる漁業権を管理統括している組織である。磯根資源部会はアワビ、ウニ、雑海藻といった漁業権を管理し、開口日の取り決めを行っている。 ◎カキ部会 ◎ホタテ部会 ◎ワカメ部会 ◎小型漁船協同組合 ◎磯根資源組合 ◎...
ウラマツリ(年中行事・予祝儀礼)
ウラマツリは、唐桑半島(唐桑町)の14の浦々で執り行われている年中行事である。おもに半島内湾側の4つの浦(舞根浦、宿浦、北古舘・藤ケ浜浦、鮪立浦、小鯖浦)を早馬神社、外洋側の10の浜(マイダ浜、中の浜、笹浜、馬場の浜[前馬場・後馬場]、砂子浜、石浜、稲村浜、金取浜)を御崎神社が管轄してい...
ウラバライ /ハマバライ(ケガレ祓い)
春の予祝儀礼であるウラマツリに対して、忌みケガレを祓うである儀礼であるウラバライがある。ウラバライは当該のウラを旅立った船が海難事故によって亡くなってしまった場合、あるいは当該のウラに船をつないでいた漁船が遺体を連れ帰った場合、そしてウラに遺体が流れ着いた場合に繰り返し執り行なわれてきた...
早馬神社例大祭
また、フナマツリとも呼ばれる早馬神社例大祭は被災による参加漁船の減少をまぬがれず、港湾も地盤沈下し瓦礫撤去も未完了の状況ではあったが、ルートや手順を変更して執り行なわれた。通常御神輿を御召船に載せていたのは宿浦であったが、応急的に船がつけられるようになっていた小鯖港よりトラックで運搬され...
流失をまぬがれたエビス石の処遇について
唐桑に限らずエビス石は大漁を祈願する石として(多くの場合里海と外海の境界に)祀られているが、この震災にあたって、流失をまぬがれた鮪立の屋号エビスダナのA家前にあったエビス石について興味深いお話を伺った(略)。
写真1 被災後一カ所で行われたウラバライ(2011.6.19小鯖港)
[御崎神社について]
早馬神社と同様にハママツリ、ハマバライを執り行なってきた、外洋に面した浜を担当しているため、とくにハママツリを執り行なう浜の順序については決まりはない。予祝儀礼であるハママツリは2月から3月にかけて執り行なわれるが、平成23年3月11日以前にはすべての浜でハママツリが終了していた。今年も...
本吉太々法印神楽について
御崎神社の禰宜をふくむ神社の神主のみで舞われる本吉太々神楽が伝えられている。唐桑で現在、神楽を行う神社は賀茂神社、八雲神社、御崎神社、八幡神社の四社である。賀茂神社では11月2日の夜、御崎神社では1月19(or15?)日夜、八雲神社では旧暦6月15日宵宮、松岩の八幡神社では10月(20日...
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話者について
昭和20年7月28日に、山元町中浜で生まれた。66歳。家は農家であったが、不動産をやりたかったので、仙台で2年間建設会社に勤め、デベロッパーの仕事を学んだ。その後独立して、不動産会社をやった。遠刈田に仕事場。自宅は山元町中浜だったので車で通勤した。遠刈田で不動産事業をしていたのは別荘地ブ...
被災後の中浜神楽の現状について
中浜神楽とは、中浜の浜の方のつまり坂元の南の地区で行われる神楽。この地域はすべての住宅が流出した。その結果、集会所に保管していた神楽の道具類も流出してしまった。現時点で、道具類は見つかっていない。 踊りの保存会のメンバーはばらばらになってしまった。残っている人はいない。地元から離れてい...
中浜神楽保存会について
保存会は30年前ぐらいに関わり始めた。その頃はいろいろな地区で神楽が復興し始めた時期だった。 おおよそ35~40年前に青年の集いや青年文化会で郷土芸能を舞うようになり、他の地区から代表が集まり青年大会が催されていた。その時期に神楽が復興されるようになり、各地区の芸能が復活し始めた。中浜...
神楽の演目
中浜神楽は12の演目があったが、このうちの11の演目を引き継いでやっていた。 (1) 剣舞:矛の剣のおどり(2人) (2) 八幡舞:弓をもっておどる(2人) (3) 幣束舞【ヘイソクマイ】:幣束をもって踊る(2人) (4) 鯛釣り舞(別名:恵比寿舞):つり竿をもって鯛を釣り上げる仕草をす...
祭典の時の神楽
神輿のある天神社は高台の山にあった。まずはカミサマを降ろして、神輿を降ろす。その時に奉納神楽をやった。このときには特に秘密ではなく誰でも見ることは可能だった。その後神輿を担いで中浜地区の集落を回った。生活センターや集会所の前にさしかかると、神輿を地面に下ろして神楽を舞う。中浜地区の住民、...
震災直前までの神楽の活動
保存会は小学校でも神楽を教えている。学校のクラブという形は取っていない。小学校で神楽を経験した人で保存会に携わっている人もいる。小学生男子の3~6年生を集めて、毎週数人に分けて特定の演目を教える。小学校での神楽の経験者は、中学生になると受験、高校になる受験と就職でなかなか神楽には関わらな...
天神神社と中浜地区
中浜地区の中心の神社で氏子は200戸ぐらいあった。天神社の氏子になっている人、天神社のお札をもらえる人は、中浜地区住民、その本家・分家に当たる人ではないか。天神社にはある経緯があって宮司が常駐していない。 4月3日の祭典は神輿と神楽。11月3日にも神社の祭典があったが、行事はなかった。...
東日本大震災における中浜地区の被害状況
山元町の面積、全体の三分の一が津波で浸水し、話者宅も流出した。中浜地区は集落全体が流出してしまい、山元町の南側は壊滅状態、死者数の割合が高い。中浜小学校は流出せずに残っている数少ない建造物の一つである。2011年11月11日に災害用の建築基準法が改正され、津波浸水地域は、海に近い順に1種...
東日本大震災における文化財の被害状況と今後の課題
12月5日に文化財保護委員が開かれ、東日本大震災に伴う有形文化財の指定について審議された。笠野地区の八重垣神社は有形指定文化財であったが、津波により流出したため、有形指定文化財ではなくなった。八重垣神社は、山元町一帯では主要な神社であり、神社に参拝して、初日の出を見て年を越す人も多かった...
東日本大震災後の中浜神楽の状況
11月23日にふれあい産業祭が開かれ、中浜神楽が小学生によって披露された。神楽で使用した子ども達の衣装は、仮設住宅で暮らす母親達によって作成された。その他の道具の準備の過程について話者は把握していなかった。 震災以前の中浜神楽は区民会館で行われていた可能性もあり、会場が津之明神社であっ...
みちのく震録伝 -東日本大震災アーカイブ-
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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