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Iさんは自宅の車庫で内職を終え、商品の納品に行こうとしたときに被災した。
Iさんには2人の孫が中浜小学校に通っていたが、Iさんの息子が中浜小学校まで迎えに行き、津波の被災を免れた。福島県沿岸最北部の新地町で働いていたIさんの息子が、孫を迎えに行った。車に乗せたら津波がきたという。黒い煙をみたという。命からがら逃げた。一方で、近隣住民の中には「うちの子がいねぇ」と言い、子どもの行方を確認出来ていない人もいた。震災当日、津波によって中浜小学校に取り残されてしまった児童も複数名いた。
小中永窪は、高台にあるため津波の被害を免れたが、話者宅から6号線へと通じる道路まで津波が押し寄せてきて、通路が寸断されてしまった。車で道路が通行出来るようになった後も、当時はガソリンが不足して移動するのが大変だった。
話者宅のライフラインの復旧状況は、水道は早かったが、電気、プロパンガスは時間がかかった。震災後13日目に相馬にあるIさんの妻の実家で風呂を借りた。坂元に住んでいる姉の家にも風呂を借りに行った。
自宅の壁にはひびが入った箇所もあるが、住むには問題ない。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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