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震災前の中浜地区の人口は311世帯950人だったが、震災により135名が亡くなり、町外・県外の民間アパートに移住したことによって、2012年5月の時点で213世帯553人まで減少した。
震災後、中浜地区で自宅生活をしているのは、小中永窪18世帯、新浜原5世帯の合計23世帯である。小中永窪は20世帯から移住した。その家は住むのには問題なかったが、子どもが中浜小学校で被災し、当日は津波を避けるため学校の屋上で一夜を明かした。その後中山仮設に暮らしていたが、心理的影響が大きく引っ越していったという。2012年3月には、中山に44世帯、旧坂元中学校に約40世帯、町民グラウンドに21世帯の合計約110世帯が、それぞれの場所の仮設住宅で生活していた。
2011年7月20日付け返送の中浜地区居住に関するアンケートでは、60パーセントの人が「中浜に住みたい」と答えた。
移転地の候補は、坂元駅、山下駅、宮城病院付近になっている。既に決定した候補地を住民の要望に合わせてすぐに変更するのは、現状では困難である。中浜地区の住民は、行政側の流れに任せており、旗振りしてもついて来られない。
学校選択の問題などから、山元町全体で町外移転を望む人が多数いる。年配者は、新しい土地に移ることはせずに公営住宅に住むことが予測される。
津波によって流出しなかった中浜小学校をメモリアルパークにする構想があり、2013年3月11日までに付近に五輪の塔を供養(慰霊)塔として建立する予定である。135人の被害者の名前を刻む。これを行うのは丸森町の石屋さんにお願いすることにした。この人は第2回の日石展で賞をもらった人。メモリアルパークに関しては、中浜地区だけで事業を進められないので、山元町役場など関係諸機関と話し合う必要がある。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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