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F-1 仙台市若林区荒浜地区
2012
F-1 仙台市若林区荒浜地区
(PDF)
[調査日]
2012 年 12 月 11 日(火)
[報告者]
川島秀一
[調査者]
川島秀一
[補助調査者]
[話者]
(1)F033漁師(1934年生れ - 男)
写真1 神明社の跡地
タグ
震災後
信仰
関連URL
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F033漁師
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2012
F-2 仙台市若林区荒浜地区
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関連カード
地区
貞山堀の漁業と年中行事
仙台市若林区の荒浜は、貞山堀に面した浜辺の集落であり、堀に面して両側に家が並び、南北2つの橋によって4つの区域が分かれ、少し内陸の方に昭和50年代にできた新町を併せて形成されていた。北の橋(「深沼橋」)から北へ向かって浜側が東町(約100人)、内陸側が北町(約50人)、北の橋と南の橋(「...
震災後の生活
荒浜の漁師の船は常時、仙台新港のそばに係留されていたが、震災時には23艘のうち2~3艘が沖へと逃げた。15トン、17~18トンの船は震災後の火災で燃えてしまっている。話者の船の「だいよし丸」は、菖蒲田浜から200メートル沖で奇跡的に発見された。青森の船大工に来てもらい、アオヒバを用いて補...
震災後の漁業
荒浜の漁師の船は常時、仙台新港のそばに係留されていたが、震災時には23艘のうち2~3艘が沖へと逃げた。陸に戻るのに2日かかった船もあった。15トン、17~18トンの船は震災後の火災で燃えてしまっている。話者の船である「だいよし丸」は、津波から12日目に、菖蒲田浜から200メートル沖で奇跡...
荒浜の神社
荒浜には湊(ハッテラ[八大龍神]様)神社、神明社などがあった。 ミナト神社の祭りには、面コ売りやパチンコ台などの店が立った。 神明社の祭りは年に2回で、夏の祭りにはキュウリを上げた。キュウリは5月に畑に植えたものだが、先に人間が食べたならば、泳ぎに行ったときに河童にさらわれると言われ...
荒浜の年中行事
1月14日 チャセゴ・鳥追い 夜遅く、子どもたちが、昨年に新築した家や、嫁をもらった家を「アキの方からチャセゴに来ました」と語ってあるいた。厄年に当たる大人も、面をかぶり、頬かぶりをして、軒並み踊りあるいた。 また、この夜の12時が過ぎたときに、「鳥追い」をした。正月のオトシナに挟んだ...
写真1 神明社の跡地
写真2 仮設住宅の神棚
震災前の漁業
① 貞山堀の漁業 3~5月まではシラスウナギを捕ったが、荒浜で漁業権のある人は7人いた。 7~9月までは土用シジミをジョレンで捕ったが、漁業権をもっている人は40人いた。 他にドジョウも地獄網と呼ばれる網で捕った。 ② 地先の海での漁業 底曳き網で捕る貝類は、アカガイ・ホッキガイ・...
震災時の漁船の動向
荒浜の漁師たちは、15年くらい前から仙台新港に漁船を置いている。荒浜からは軽トラックで15分、バイクでは9分で行ける距離である。震災時、船は灯篭流しの舟のように流れていった。火災で燃えた船は10艘以上あった。無事に沖出しができた船も、戻るのに2日かかっている。話者の船である大吉丸は、震災...
震災後の漁業
震災後、しばらくは地先の海底の瓦礫とりを無事だった数艘の船で行なっていた。日当で、人間は12,000円、船を出せば1艘に付き22,000円が支給された。 アカガイについては、8月20日から放射能の検査を経てから、9月1日から10日まで操業を開始してみた。震災後は共同操業になり、タルを平...
キーワード
話者について
昭和20年7月28日に、山元町中浜で生まれた。66歳。家は農家であったが、不動産をやりたかったので、仙台で2年間建設会社に勤め、デベロッパーの仕事を学んだ。その後独立して、不動産会社をやった。遠刈田に仕事場。自宅は山元町中浜だったので車で通勤した。遠刈田で不動産事業をしていたのは別荘地ブ...
祭典の時の神楽
神輿のある天神社は高台の山にあった。まずはカミサマを降ろして、神輿を降ろす。その時に奉納神楽をやった。このときには特に秘密ではなく誰でも見ることは可能だった。その後神輿を担いで中浜地区の集落を回った。生活センターや集会所の前にさしかかると、神輿を地面に下ろして神楽を舞う。中浜地区の住民、...
震災直前までの神楽の活動
保存会は小学校でも神楽を教えている。学校のクラブという形は取っていない。小学校で神楽を経験した人で保存会に携わっている人もいる。小学生男子の3~6年生を集めて、毎週数人に分けて特定の演目を教える。小学校での神楽の経験者は、中学生になると受験、高校になる受験と就職でなかなか神楽には関わらな...
天神神社と中浜地区
中浜地区の中心の神社で氏子は200戸ぐらいあった。天神社の氏子になっている人、天神社のお札をもらえる人は、中浜地区住民、その本家・分家に当たる人ではないか。天神社にはある経緯があって宮司が常駐していない。 4月3日の祭典は神輿と神楽。11月3日にも神社の祭典があったが、行事はなかった。...
東日本大震災における中浜地区の被害状況
山元町の面積、全体の三分の一が津波で浸水し、話者宅も流出した。中浜地区は集落全体が流出してしまい、山元町の南側は壊滅状態、死者数の割合が高い。中浜小学校は流出せずに残っている数少ない建造物の一つである。2011年11月11日に災害用の建築基準法が改正され、津波浸水地域は、海に近い順に1種...
東日本大震災における文化財の被害状況と今後の課題
12月5日に文化財保護委員が開かれ、東日本大震災に伴う有形文化財の指定について審議された。笠野地区の八重垣神社は有形指定文化財であったが、津波により流出したため、有形指定文化財ではなくなった。八重垣神社は、山元町一帯では主要な神社であり、神社に参拝して、初日の出を見て年を越す人も多かった...
東日本大震災後の中浜神楽の状況
11月23日にふれあい産業祭が開かれ、中浜神楽が小学生によって披露された。神楽で使用した子ども達の衣装は、仮設住宅で暮らす母親達によって作成された。その他の道具の準備の過程について話者は把握していなかった。 震災以前の中浜神楽は区民会館で行われていた可能性もあり、会場が津之明神社であっ...
写真1 正面から見た八重垣神社跡
写真2 正面右に集められた神社残骸
写真3 鳥居や石碑
みちのく震録伝 -東日本大震災アーカイブ-
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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