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雨が降ったので縮小した。鮎川の復興祭と重なって人が来るかもしれないと警察は判断したらしく、当日は警察が神輿を道路側から海側にださないように警告があった。あの警告は言いすぎではないかと思った。今回のまつりで警備していたのは、警備会社のひと。昔は警察がやってくれた。交通指導隊(安全協会)がやってくれていたが、震災で解散してしまった。今回の警備の人は、鮎川の復興祭で雇った人を融通してこちらにもきてもらった。あの日は雨がひどかったので、祭りの実行は難しいとおもった。でも日をあらためて実施するのはさらに難しい。それでやることにした。最終的には当日の朝に、神社のなかで役員と神輿の担ぎ手の主だった人で決めた。中には反対の人もいた。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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