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R-1 南三陸町歌津地区寄木集落
2012
R-1 南三陸町歌津地区寄木集落
(PDF)
[調査日]
2013 年 1 月 15 日(火)
[報告者]
林勲男
[調査者]
林勲男
[補助調査者]
[話者]
写真2 ささよ行事②
タグ
震災後
年中行事
市町村指定
-
南三陸町指定無形民俗文化財:ささよ
関連URL
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/museum/future/article.php?p=639
この話者の他の調査ノート
関連カード
地区
船大工としての修業
船大工の父親の仕事の様子を子供のころから遊びながら、時には手伝いながら見てきたので、作業の順序は頭の中に入っていた。早波(さっぱ)船の作り方は、20歳頃に泊のA氏のもとで住み込みの修業で学んだ。父親は船外機を取り付ける仕方を知らなかったが、A氏が船外機を取り付ける作業を行ったので、自分は...
合木(かっこ)船
父親が作っていたのは、丸太をくりぬいた底板で造る「合木(かっこ)舟」で、岩場での漁業に向いており、岩にぶつかっても多少のことでは壊れない頑丈なものだった。多賀城市にある県立博物館(東北歴史博物館)に収められている合木船は渡辺栄さん(没)が作ったとされているが、自分も手伝っている。合木船は...
災害後の船造り
今回の災害前は、造船に執念を燃やす人も周囲に少なくなり、自分も年をとってきたのでしばらく休んでいた。これまでにおよそ300隻の0.5-5トンの木造和船を作ってきた。この津波で、自分の船(0.7トン)が流されてしまった。沿岸のそれぞれの漁協でも多くの船が流されてしまい、すぐには揃わないだろ...
写真1 櫂を作る話者
寄木の被害状況
47軒あったが、そのうち35軒が流された。寄木にも9世帯の仮設住宅があるが、他地域に建設された仮設住宅にも寄木から入居しているので、現在、住民はバラバラになってしまった状態である。90歳代の男性1名が亡くなり、80歳代の女性が行方不明のままである。 契約会が所有する高台の土地に寄木から...
「ささよ」への影響
子供が自宅に持ち帰っていた法被3着のみが無事だったが、他のものはすべて津波で流されてしまった。ささよは年中行事であり、海上安全と大漁を祈願するものであるので、継承のためにも中止すべきでないと、2011年の12月に翌月の開催を決定した。しかし、時期的に法被が店で手に入りにくかった。すると、...
2013(平成25)年の行事の様子
1月15日、年中行事である「ささよ」に先立って、午後2時50分に寄木浜の港で「ささよ太鼓」の演奏が始まった。ささよ保存会会長の畠山鉄雄氏が進行役を務めた。 大勢の報道関係者に少し戸惑いながらも、子供たち13名(男6、女7)は元気な掛け声を出しながら2回のささよ太鼓の演奏をおこない、集ま...
ささよの唄
明治末期頃までは、その年の年長者が唄い、そのあとに続いて囃して各家々に唄いこんだが、その後に元唄をなくし、囃しのところだけで唄いこみをおこなっていた。昭和23年に、畠山吉雄氏が新たに作詞をして現在まで唄い継がれている。昭和55年(1980)に旧歌津町の無形文化財の指定を受け、ささよ保存会...
写真1 ささよ行事①ささよ太鼓
写真2 ささよ行事②
キーワード
東日本大震災における中浜地区の被害状況
山元町の面積、全体の三分の一が津波で浸水し、話者宅も流出した。中浜地区は集落全体が流出してしまい、山元町の南側は壊滅状態、死者数の割合が高い。中浜小学校は流出せずに残っている数少ない建造物の一つである。2011年11月11日に災害用の建築基準法が改正され、津波浸水地域は、海に近い順に1種...
東日本大震災における文化財の被害状況と今後の課題
12月5日に文化財保護委員が開かれ、東日本大震災に伴う有形文化財の指定について審議された。笠野地区の八重垣神社は有形指定文化財であったが、津波により流出したため、有形指定文化財ではなくなった。八重垣神社は、山元町一帯では主要な神社であり、神社に参拝して、初日の出を見て年を越す人も多かった...
東日本大震災後の中浜神楽の状況
11月23日にふれあい産業祭が開かれ、中浜神楽が小学生によって披露された。神楽で使用した子ども達の衣装は、仮設住宅で暮らす母親達によって作成された。その他の道具の準備の過程について話者は把握していなかった。 震災以前の中浜神楽は区民会館で行われていた可能性もあり、会場が津之明神社であっ...
学校での神楽教育
学校で笛と太鼓を教えるのは難しい。楽譜などがないからだ。震災前の状況としてはこうした中で臨時に雇われていた女の先生が重要な役割を果たした。彼女は盛岡出身で「さんさ踊り」で笛をやっていた。まず保存会で笛の様子をビデオで撮影した。それをみて習ってもらった。ずっと以前、伝承の手段として、譜面に...
神楽の被災
震災後の状況として、当面の問題は太鼓や笛はなんとかなったが、面をどうするかという問題がある。 浜通りの地区にある天神社(高瀬天神社とは別)は鳥居が10メートルぐらい流された。それで見つかったので、クレーンで12月30日に作業をおこない再建した。津波は波が力をもっているというよりも、がれ...
笠野地区概況
話者②は、笠野地区の副区長でもあり、現在東田仮設住宅の行政連絡委員をつとめている。行政連絡委員とは昔の区があったときと同じように、役場からの配布物のとりまとめなどの仕事をする。東田仮設住宅には267軒が住んでいる。話者②自身は震災後角田市に身を寄せていたものの、9月からは東田仮設住宅へと...
八重垣神社でのお祭りについて
旧暦6月15日に行われる。笠野と新浜区が合同で行っている祭り。夜には花火を打ち上げていた。夜店も出ていた。区の総会時に八重垣神社の総会も行う。区の中にも入っていない人もいるが、区としては八重垣神社のお祭りを区をあげて応援していくという体制をとっている。だから、班長もそれぞれ役割を担ってい...
神社の今後について
笠野・新浜地区は住居の新築は禁止されているが、神社は新たに建造することを許されているため、同じ場所での再建を目指す。より安全なところに社殿を構えはしないのかというと、それは考えていないという。その理由については下記のようにいくつかある。 八重垣神社が建立されてから1,200年の間に何回...
日月堂
大字寺島のなかでも寺島部落は日月堂、蒲崎と新浜は湊神社を祀っている。日月堂の拝殿が震災により倒壊してしまったのでいまでは解体してしまった。また、鳥居と旗竿があったが地震(振動)により壊れてしまった。祭神は日天月天であるといい、八幡旗が昔あったのでそれがご神体だったのではないかと思う。 ...
部落のお祭
3月1日と11月の何日かに祭がある。それぞれの家庭で行う。エンナカの人たちが皆やってきて、魚料理や御馳走を作って楽しむ。これは村落単位ではなく、各家庭それぞれが行うものである。かつては旧暦で行っていたが、今は新暦で行う。
みちのく震録伝 -東日本大震災アーカイブ-
宮城県地域文化遺産プロジェクト
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