0件
昔の嫁は囲炉裏の木尻に座るものである。息子の嫁は、今日で4日目だが雄勝で養殖用の貝殻のなんだかの仕事へ出ている。昔の嫁は余計なことは何も話せないものだったが、今の時代は嫁を大事にしなければいけない。話者①が嫁に来た頃は、4歳違いと30歳違いのオバもいた。離婚して出戻り居ついた人達である。大正15年(昭和元年)生まれの話者①は、釜谷の北西、飯野川の外れにある馬鞍出身で、23歳のとき4つ年上の夫と結婚した。夫が無くなって今年で16年になる。話者①の縁談をまとめたお仲人さんは親類の男の人だった。ただし式では夫婦揃って仲人を務めてもらう。あそこの家にこういう女の子がいるから、とこちらの家に持ちかけたそうだ。どういう人が仲人をすると決まっているわけでないが、わけのわからない人では出来ず、誰もが務められるものでもない。
話者①は40歳から60歳頃まで、バイクで電報配達の仕事をしていた。夫は田と、電力会社の集金・検針の職についていた。この仕事が月に20日ほど勤務があるため出稼ぎもしなかった。電報の仕事は、元は舅が釜谷の大川郵便局でその仕事をしていて、夜の部を手伝い始めたのがきっかけで引き継いだ。舅は昭和30年頃から60歳頃に体を悪くし辞めるまで配達の仕事をした。始めたのは嫁に来て少しした頃からである。電話を買う以前は、局が家のすぐ側だったので直接局の人がやっきて電報の依頼をされた。
また元は姑が少し養蚕をしていたそうだが、嫁いでくる直前に姑が亡くなりそれも辞めたそうだ。何軒か養蚕をしていた家はあったようだが、釜谷には桑畑が少なかったので、あまり家数も量も多くなかったようだ。
宮城県地域文化遺産プロジェクト
ページトップ