宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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N 石巻市牡鹿町新山浜地区
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A 山元町坂元中浜地区
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B 山元町高瀬笠野地区
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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1950年代
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1960年代
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1970年代
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1980年代
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例祭:10時~
神社での祈祷が行われる。八鳴神社とその横にある恵比寿神社、集落の高台にある神明宮でも祈祷を行う。恵比寿神社への道は震災によって崩れかけていたため、神職とお供えを持った二人だけがいって祈祷した。その途中やのぼりを取り外す際にも神社の裏の崖から石が落ちるなど、かなり危険な状況であった。 最...
昔の祭り
昔は、4月3日に天神社と坂元神社で同じ日にお祭りをやり、御輿によるケンカがあった。本当は出会う場所がきまっているだけなのだが、神社をでて町を練り歩き、途中途中で御神酒を飲んでくるから、出会いの場所に来るまでにはべろべろに酔っ払っている。それでお互いにぶつかり合った。御輿を海にいれるのは、...
浜市の現状
7月1日に公表された市の災害復興計画で、浜市は1メートル50センチほどかさ上げをしなければ家の建築が認められないことになった。これはつまり、危険地域に指定されたということであり、大半の住人は高台へと移転することを考えている。135世帯のうち、現時点でもとに戻っているのは6世帯だけである。...
稲作と畜産
むかしは牛を飼っており、稲作に用いた。牛よりも馬の方が、農作業が早く適していたが、牛は売ることができたので、多くの家では馬ではなく牛を買った。北釜地区内で馬を飼っていたのは、経済的に余裕のある3軒ほどだけだった。飼うときには雌の牛の方がよく、生まれた子牛や育った肉牛は北釜に来るバクロウ(...
写真2 下増田神社(左)と山神社(右)
神輿の担ぎ手の主力
かつては、農協青年部が行っていたが、今は4Hクラブ(山元町農村青少年クラブ)である。今、笠野農協青年部は、2、3人しかいない。農業をしていても青年部ではなく、4Hクラブに所属する形に移行しているようだ。今回の担ぎ手のリーダーは、40歳前後のSさんで笠野、あるいは山下地区の農協青年部リーダ...
話者について
昭和20年7月28日に、山元町中浜で生まれた。66歳。家は農家であったが、不動産をやりたかったので、仙台で2年間建設会社に勤め、デベロッパーの仕事を学んだ。その後独立して、不動産会社をやった。遠刈田に仕事場。自宅は山元町中浜だったので車で通勤した。遠刈田で不動産事業をしていたのは別荘地ブ...
写真3 八雲神社鳥居
神輿の修理について
御輿についても流されたが、それが奇跡的に見つかった(新聞記事あり)。この御輿を修理して現在のものとした。新しいのを購入するのではなく、古いのを修理して担ぎたいというのが担ぎ手たちの希望だった。神社の氏子総代が代表を務める保存会で修理を受け持った。御輿で壊れている飾りなどは残っている部分を...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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