宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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不足した神輿の担ぎ手と神輿会
「俺たち子どもの頃ってもう今のようなお祭りだったから。戦前からあったべねえ。子どもの頃からお祭りの中身はほとんど同じでねえかな」と梶原氏が語るほど変化の小さい通称「フナマツリ」は、半島根元の只越から先端の崎浜まで唐桑中がもっとも賑わう日であった。しかし唐桑の漁業や人口が変化していくなかで...
今年の祭りについて
雨が降ったので縮小した。鮎川の復興祭と重なって人が来るかもしれないと警察は判断したらしく、当日は警察が神輿を道路側から海側にださないように警告があった。あの警告は言いすぎではないかと思った。今回のまつりで警備していたのは、警備会社のひと。昔は警察がやってくれた。交通指導隊(安全協会)がや...
農業共同請負について
大字寺島では農業が共同請負化することが決まり、そのために動き回っている時期である。その会合のために月2、3回、寄り合う機会がある。その他、新年会など集まる機会は多い。
中浜地区の現況
震災前の中浜地区の人口は311世帯950人だったが、震災により135名が亡くなり、町外・県外の民間アパートに移住したことによって、2012年5月の時点で213世帯553人まで減少した。 震災後、中浜地区で自宅生活をしているのは、小中永窪18世帯、新浜原5世帯の合計23世帯である。小中永...
年末のヒハライ
毎年12月20日から25日くらいになると、下増田神社の宮司がヒハライ(火祓い)に各家を回っていた。ヒハライは、その年の12月ころに亡くなったひとがいる家では行わない。神主はお祓いをし、ヘイソクと塩を配った。現在は、宮司が家を回るのではなく、住民が社務所に集まって、そこで宮司に拝んでもらい...
「長浜」の由来
長浜屋敷と呼ばれる屋敷が飯綱神社の裏手にあった。ながらく浪板の塩田の肝煎りであったらしい。津波で流れたが、租税を塩で納めた記録が残っていたようだ。気仙沼市史編纂室の調査員が熱心に調査していた(A氏)。B氏も来ていたのを覚えているが彼はもっぱらイワシ漁のことを調べていた。平成3年に亡くなっ...
船大工としての修業
船大工の父親の仕事の様子を子供のころから遊びながら、時には手伝いながら見てきたので、作業の順序は頭の中に入っていた。早波(さっぱ)船の作り方は、20歳頃に泊のA氏のもとで住み込みの修業で学んだ。父親は船外機を取り付ける仕方を知らなかったが、A氏が船外機を取り付ける作業を行ったので、自分は...
大浜について
調査地となる石巻市雄勝町には全15の浜があり、それぞれ異なる気質をもつ。それぞれに、その浜の気質を表す言葉が存在し、たとえば大浜はオオギサシと他の浜の人間から言われる。これは威張っていることを表す言葉で、その他にも立浜ではジャンジャガネ(にぎやかな様子を表す)と呼ばれたりする。他の浜を揶...
今年の祭りの形態
明日の朝役員は6時に集合し、出店の出たあとの境内の掃除を行う。また、海近くで神輿を休ませる場所の設置も行う。砂浜に笹を刺して四角い場所を作る。 昼から宮司の祈祷のあと、神社でわっしょいわっしょいと神輿を担ぎ、その後海に行く。そこで神輿を休ませ、祝詞をあげる。祝詞をあげお祓いがおわった後...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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