宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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稲荷神社の祭礼について
10月19日の祭礼にあたり停前をおくが、これは契約講員に限らず部落全体での輪番である。 祭礼前日の18日には、はじめに停前達が神社参道の道払い・太鼓の準備・拝殿内の幕張・幟立て・注連縄の取り付け・餅などの準備をする。幟は神社所有の山より切り出して準備する。幟を立てる場所は、西の宮と呼ば...
話者情報
話者家は、津龍院の過去帳によると、少なくとも230年前から浜市に住んでいる。話者は石巻で被災し、震災後2日目の3月12日は浜市小学校の体育館で過ごし、その後東松島高校へと避難所を移った。避難所は床下がコンクリートで非常に寒く、また足も伸ばせないほど多くの人が避難していた。話者は心臓が悪く...
昭和20年代前後の笠野、花釜の生業(話者②、③より)
昔この辺りでは塩を作っていた。昭和27、28、29年ころは、八重垣神社ら南に1キロメートルほどのところに製塩工場があった。そのころは、まだ船もあった。陸につけるときは、枕木がひいてあり、その上を引いてワイヤーに巻きつける。自分たちも手伝った。当時船ではマンガ(鉄の爪のようなもの)でホッキ...
写真1 五十鈴神社神事
震災における対応
月浜には以前から東松島市からの指導で、地区の防災マニュアルがあり、内容は地区での震災時における対応などが決められており、避難が完了しているかの確認を地区の人達が分担して行うことが義務となっている。例として高齢者がいる家で、その家族が仕事で外に出ている家という場合はその高齢者の避難の確認な...
写真2 神事の様子
寒風沢の漁業にかかわる今後の課題
寒風沢地区では多くの住民が半農半漁の生活をしている。海苔や牡蠣の養殖が多いが、刺し網漁をおこなう人もいる。寒風沢には5~6トンの刺し網漁船が6隻あり、これは昨年の津波でもみな無事だった。 いまは壊れた岸壁の修理が課題。平成24年度(2012年度)の予算で漁港のうち158メートルを修理す...
これからのえんずのわりについて
現在の3人でしばらくは続けられるが、次の子どもが入ってくるのは、予定では再来年。それも親の考えなどで、必ずしも小学1年生から参加するわけではない。話者の孫も1年生のときにはかわいそうだと思って2年生から参加させた。それでも月浜に生まれた男なら必ず通る道である。親世代も、やってほしいし、や...
葬式について
部落の人達は、釜谷で葬式があれば各戸1人は参列するものである。葬列の先頭は頭(カシラ)と呼ばれる木製の鬼のような顔の彫像、その後に竹竿にお経か何かが書かれた幟が4~5本並び、続いて喪主や位牌・遺影と、御飯や水などモチモノと呼ばれる供物を持つ人が並ぶ。15~6年前まで、観音寺は観音さんのい...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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