宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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N 石巻市牡鹿町新山浜地区
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A 山元町坂元中浜地区
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B 山元町高瀬笠野地区
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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青年期の祭りへの参加
船は船頭の指図で動くので、祭りだからといって帰れるものではなかったが、偶然帰ってきていれば、参加した。ただし、自分は身体が大きくはないので、神輿担ぎはあまりしていない。おおべこうべを持ったり、塩まきをしたりといったほうが多かった。 御輿渡御の見所のひとつは、渡御のあと神社に戻す前に、担...
被災とその後
寺に関しては被災の前後で変化はない。本堂は道路よりかなり高くなっており、津波は階段の下で止まった。 寺の裏の末の松山は避難場所になった。おじいさん、おばあさんからの言い伝えになっており、三陸沖地震の時にも避難場所になった(2011年4月7日の大きな余震や2012年12月の津波警報の際に...
貞山堀の漁業と年中行事
仙台市若林区の荒浜は、貞山堀に面した浜辺の集落であり、堀に面して両側に家が並び、南北2つの橋によって4つの区域が分かれ、少し内陸の方に昭和50年代にできた新町を併せて形成されていた。北の橋(「深沼橋」)から北へ向かって浜側が東町(約100人)、内陸側が北町(約50人)、北の橋と南の橋(「...
行政の担当者とのお話
民俗文化財の復興に関わる行政からの支援援助を支援する体制があるという説明をし、衣装の購入等を具体的に検討してもらえないかという話をする。 笛と太鼓などはあるけれども、やはり面がないことがひっかかる。面はどこにでもあるような面ではいけない。参考になるような写真があればいいかと思うが、中浜...
月浜の複合的な生業
従来の海苔養殖は、複合的な生業の一部であった。かつて海苔養殖業者が携わっていた他の生業のうち、磯漁は津波の被害が大きく、砂浜の砂が流されてアサリが取れなくなり、その砂が岩礁地帯に流れたので、ウニやアワビも取れなくなった。そちらの収入は、現在でもゼロに近い。アワビは、宮戸西部漁協にアワビ組...
地区住民の参加予定
当日の午前中に、笠野地区の仮設集会所で住民の集まりがある。区長さんが、みんな集まったらそのまま神社に行くように、お昼もだしましょうと言ってくれた。地区の集まりのご案内のなかに、植樹祭のチラシをいれてもらってある。ファックス等の事前申し込みでは氏子さんからはあまり来ていないけど、当日くれば...
褌の導入
お天王さま祭の写真が県政だよりの一面を飾ったことがあったが、それをみて塩釜と常陸那珂から参加したいと友達同士のお2人がやってきた。その方々が褌で参加するようになってから、担ぎ手の衣装が褌になった。それまではみな海パンだったが、2人の褌を見て、「お、かっこいいな」と。それでみんな褌をするよ...
ウラマツリ(年中行事・予祝儀礼)
ウラマツリは、唐桑半島(唐桑町)の14の浦々で執り行われている年中行事である。おもに半島内湾側の4つの浦(舞根浦、宿浦、北古舘・藤ケ浜浦、鮪立浦、小鯖浦)を早馬神社、外洋側の10の浜(マイダ浜、中の浜、笹浜、馬場の浜[前馬場・後馬場]、砂子浜、石浜、稲村浜、金取浜)を御崎神社が管轄してい...
震災前の漁業
① 貞山堀の漁業 3~5月まではシラスウナギを捕ったが、荒浜で漁業権のある人は7人いた。 7~9月までは土用シジミをジョレンで捕ったが、漁業権をもっている人は40人いた。 他にドジョウも地獄網と呼ばれる網で捕った。 ② 地先の海での漁業 底曳き網で捕る貝類は、アカガイ・ホッキガイ・...
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