宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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祭りについて
当時、一回御神輿をかついで休憩する際に、湯のみ茶碗で酒を飲んでいた。それからまた担いでいく。12軒ほど休憩する場所があるから、大体1升以上は飲んだだろう。神輿は20人ぐらいで担いでいくのだが、酒の勢いもあって普通に歩いて行くよりも神輿の方が早い。神輿は1トンぐらいあるけど、我々が若い時は...
萩原神社
萩原神社は、中谷地契約講の氏神様である。中谷内契約の依頼で、八幡神社の境内に萩原神社を祀っていた。9月9日が祭日だったが、現在は9月の第1日曜日となっている。大昔は、中谷地契約による鹿踊が奉納された。津波で萩原神社は流出したが、去年も神社跡にご神体を置いて、祭壇を組み、例祭を行った。C宅...
写真3 神輿と一緒にまわる賽銭箱への寄付
写真1 開帳をするにあたって
写真3 北釜中心部にあった十字路(写真中央)付近
写真3 天神社に安置されている神輿
女性たちの組織
かつては婦人部や若妻会などがあったが、自分たちが40歳くらいで抜けた頃からなくなってしまった。今は嫁姑問題などないが、昔は姑さんとずっと家にいるのは気が休まらなかったので、同世代のグループがあった。自分たちは若妻会を抜けた後、椿会というグループ(現在55歳~65歳くらいまで)を作って、近...
青年団とカツギテ
昔は十八成にも青年団があった。ここでは男女双方がはいっていた。学校を出たら入っていた。長男だけというのはない。農村はそのような慣習があるが、ここ(漁村)では長男を代表にするという仕組みではなかった。この青年団が主体となって祭りでの演芸会をおこなっていた。神輿のカツギテは昔は満20歳の人で...
震災後の世帯動向
月浜の仮設住宅は、月浜、室浜、里浜からなっている。月浜から34軒(部屋)・談話室1部屋・26世帯、室浜から3世帯、里浜から2世帯という入所状況になっている。月浜では7世帯が松島、矢本、仙台など外部へ居住を移しており、2世帯が月浜を出て住所変更も行っていることから、もう戻ってくることはない...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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