宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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ご神体が神主CTさんのご自宅のお社に置かれるようになったわけ
先に、中浜地区内の街中にお社をたてて、ご神体を置くようになったことを記したが、ご利益があるということでご神体にいたずらをするような輩が現れるようになった。持ち去ろうとするような人がでるようになったわけだ。幸い、盗まれることはなかったが、そのために再び、ご神体はCTさんのご自宅の社におかれ...
震災における生業の変化と宅地移転
話者は以前から海苔養殖を2軒共同でおこなっていたが、月浜において海苔養殖は従来家ごと一軒一軒で行うのが多かった。しかし震災後は共業化して行うという方向であり、月浜内で海苔養殖を行う家で共同で資材購入や種付け、収穫などの作業を行うことになる。里浜においてはすでに海苔養殖は震災前から共業化し...
家屋と家財
話者③が小さい頃は茅葺きの家だった。途中で屋根だけ瓦に直した。皇太子の結婚式にあわせて買っていたテレビを向いのF氏に一時預かってもらい、屋根にシートを被せて、「空見えるね」なんていいながら寝た。今の家に建て替えたのは昭和48年のこと。 立て替え前の家は、道路に面して納戸があった。板蔵や...
震災後の世帯動向
月浜の仮設住宅は、月浜、室浜、里浜からなっている。月浜から34軒(部屋)・談話室1部屋・26世帯、室浜から3世帯、里浜から2世帯という入所状況になっている。月浜では7世帯が松島、矢本、仙台など外部へ居住を移しており、2世帯が月浜を出て住所変更も行っていることから、もう戻ってくることはない...
講中
八重垣神社では講中も受け入れていた。夏には2組、冬は40人ぐらいだった。代参である。1月14日のドント祭のときに、夜中12時からきて、宿として区長さんが小平のセンターを開けてくれた。
写真1 石碑の修復
生業
話者家はもともと農家。話者②が嫁いだ時には1町の田んぼがあった。今でも自家用分ぐらい(4反)はある。田んぼは八幡神社の近く(宮内)と八幡小学校の近くにある。小学校を建てる際に田んぼをいくらか売った。今年は(津波で)作付けできなかった。 話者家では農耕用のウシを飼っていた。話者①が中学3...
写真4 ビシャモンサンの本堂(杉ケ袋前沖。天台宗本寿院)
大原浜地区の無形文化財である御神木祭について
御神木となるのは実のなる木だけである。それは大原浜だけでなく御神木を祭る浜全てに共通している。多分実が成るというのは縁起がいいのだろう。大原浜は「イリミの木(?)」に決まっている。他の浜では栗の木等を使う。 被災して、山車の飾り(山車をくるむようにする)大漁旗が流された。でも日本財団に...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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