宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
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B 山元町高瀬笠野地区
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S 気仙沼市鹿折地区
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V 石巻市河北町釜谷地区
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1950年代
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1960年代
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1970年代
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ヨスコ刈り
ヨスコ(葦)の群生する北上川中洲の刈り取り権を、釜谷の生産組合が国から委託されて管理していた。生産組合は、ほかに精米所の運営等をしてきた団体である。昭和40年前後までは年に1度、7月にヨスコ刈りの解禁日があり、よーいどんで各戸が競ってこれを刈り取った。参加できるのは各戸から1人と制限があ...
第 1の転換期
昭和40年代には漁業が衰退傾向に向かうとともに、若者は浜の外に働きに行くようになった。とともに、石巻などにつとめに行く者も増えた。このため、漁業暦・村の年中行事と生活の間に乖離が生まれ、1950年代には獅子舞いは次第に停滞、形骸化しかかっていた。ところが第一の大きな転換は、昭和32年の東...
写真3 獅子舞
学校での神楽教室
学校で教えていると、子どもたちは学校の先生の言うことはよく聞く。だけど自分たちのいうことはなかなかきかない。その場ではやるが、いなくなると元にもどってしまう。 自分たちの神楽はずっとつづいているものだ。子どもたちのは断続的。子どもを教えていても、高校へ行くとまず切れてしまう。 本当の...
移転以前の中谷地鹿踊について
以下で記述する移転以前の鹿踊に関する情報は、話者が話者の祖父から伝え聞いたものである。祖父は、多賀城村役場の固定資産調査員を歴任し、移転前の家の囲炉裏を囲んで昔話などを話者に話して聞かせた。祖父は、世話好きな人間だった。話者自身は移転以前に鹿踊を実際に見たことはない。 鹿踊は、「門褒め...
唐桑漁船の被害状況全般について
開示していただいた統計によれば、宮城県漁協唐桑支所に登録されている約960艘の漁船のうち、流失を免れたのは300艘余りといわれている。流失した船のほとんどは沖出しの不可能な1t未満の漁船であったという。それらは年に1度の開口の日にアワビやウニ、雑海藻をとるためのいわゆる「イソブネ」である...
月浜の海苔養殖業の再開と協業化の背景
震災以前、月浜には11世帯(11経営体)の海苔養殖業者があったが、そのうち4世帯は震災後これまでに廃業を決めた。残った7世帯のうち、1世帯を除く6世帯(6経営体)の7名が、海苔生産グループ「月光」として協業化し、養殖を再開した。残る1世帯は、月光の立ち上げ以前から里浜の海苔養殖業者と協力...
屋号
屋号サガリは、道祖神を祀っている。この家は愛島の道祖神が海水に入って清めるために下りてきた際に、休んだ家だと言われている。神輿が来たのではなく、神様が下りて来て、サガリで休み、海に入って愛島に帰っていった。サガリでは、道祖神の宮を、屋敷の神様の宮の隣に祀っている。サガリは、防風林を越えた...
家屋田畑の回復
震災で傷んだ家屋の修繕はだいたい終わった。直したのは屋根と壁。屋根は台風の時も雨漏りしてたいへんだった。廊下はまだ直していない。 車がないと農作業に不便なので、軽トラを買った。とはいえ、一台で全部用足しするのは無理がある。トラクターは水をかぶったが部品交換してなんとか直った。 大場家...
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宮城県地域文化遺産プロジェクト
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