宮城県における東日本大震災で被災した無形民俗文化財調査成果データベース
English
震災
前
の暮らしと
後
の暮らしの記憶と記録
トップページ
> 調べる
チェックリスト
0
件
フリーワードで調べる
絞り込み検索
地区
N 石巻市牡鹿町新山浜地区
(
132
)
A 山元町坂元中浜地区
(
117
)
B 山元町高瀬笠野地区
(
111
)
S 気仙沼市鹿折地区
(
105
)
V 石巻市河北町釜谷地区
(
103
)
もっと見る ≫
キーワード
信仰
(
360
)
震災
(
352
)
祭礼
(
319
)
社会組織
(
276
)
話者/家
(
269
)
もっと見る ≫
時間
震災後
(
821
)
震災前
(
677
)
指定文化財
市町村指定
(
38
)
国指定
(
22
)
県指定
(
5
)
話者生年
1940年代
(
466
)
1950年代
(
184
)
1960年代
(
21
)
1970年代
(
50
)
1980年代
(
13
)
話者性別
男性
(
1019
)
女性
(
392
)
検索結果一覧
9
件表示 /
1216
件中
避難所について
震災の時、この分館に初日200人がきて、その後2ヵ月のあいだ、避難所となっていた。人数は徐々に減っていったが、それでも、80人ほどが避難していた。 吉田浜では、水の調達など、外からのボランティアは断っていた。地元で吉田浜ボランティアクラブ(YVC)が結成され、話者の奥さんも主要な仕事に...
名取市教育委員会へのあいさつ
閖上地区での調査をするにあたり、①閖上地区の被害と復興状況、復興にあたっての課題についてのブリーフィングをうけるとともに、②調査課題でもある「閖上大漁唄い込み」保存会について、これまでの活動内容と現在の動向について説明をうけた。 上記①については、昭和33年に名取市に合併した旧閖上町は...
関係者との出会い
16時10分には鎮魂祭がはじまった。そこで子ども神楽を観賞した。開会の挨拶では、山元町長の齋藤俊夫さんが挨拶をしたが、その後保存会のTKさんから紹介をうけた。町長さんは中浜出身で、TKさんの同級生だという。自分が中浜神楽を調べていると挨拶すると、神楽が「脳裏に焼きつている」と感情をこめて...
今年のえんずのわりを終えての親としての感想
無事に行事を子ども達がやり終えてホッとした気持ちであり、事故なども無くよかったという思いである。行事中はお母さん方が子ども達につきっきりで、朝早く子ども達を起こして岩屋に向かわせたり、お籠りの間もほとんどの時間を子ども達に付いて目を配っていたため、お母さん方の方が大変だったのではと気遣う...
カッシャ(頭)
カッシャ(頭)は、かつてD氏がやっており、その弟子E氏のカッシャと私のバカシのコンビが長かった。私の父とE氏の父親はイトコなので、縁もあった(祖父の妹がE氏の父に嫁いだ)。その後、しのぶ館の当主がカッシャをつとめ、その後F氏がつとめたが、現在は養成中。 記事には頭は明治2年に製作とある...
昭和30年前後の海や田畑の生態系と暮らし(話者②③)
月夜ガニという小さなカニを、月の出ている晩に、たいまつをもって浜に行き、カニをとりバケツに入れて持ち帰った。甲羅もやわらかいので、つぶしてカニみそにした。また、ボウフという植物も採れた。これはスミソなどにして茎を食べる。今は高級料亭の味になってしまったが、昔はたくさんとれた。また、海岸の...
津波の犠牲者
津波の犠牲者は、亡くなった方が54名、行方不明の方が1名である。北釜の住民は、子供の頃から「金華山から南には大きな津波は来ない」と親たちから聞かされて育っていたので、まさか津波が来るとは思わなかったという人が多かったのではないかという。集会所まで車で避難し、そのまま集会所にいて流されてし...
宝国寺の由緒
このお寺は宗派が変わったり、開山が何人もいたり、正確にはわからないこともいろいろある。天童家が山形から八幡に入ってきた時にその菩提寺となり、天台宗から臨済宗(妙心寺派)に改宗する。寺号も林松寺から今の宝国寺に変更される。寺号変更の際の文書が残っている。 話者は昭和28年生まれ、高校まで...
子ども神楽について
子ども神楽は11月頃に行う。中浜集まろう会というのがあり、そこでやろうとなった。ところが子ども神楽は磯地区の子どももやっている。となると中浜の子どもだけではできないということになり、それが(地区を越えた成員で神楽をやっていいのか)問題となる。
もっと見る
宮城県地域文化遺産プロジェクト
ページトップ